バングラデシュで出会った「ドラえもん」
(2015年12月14日 SNSへの投稿に少し手を加えました。)
→写真は、2012年に撮りため、投稿したものでした😊
2012年、まだバングラデシュの首都ダッカで生活をしていた時に、
市場の店頭や息子の通っていた学校の行事等でみつけた現地風「ドラえもん」の写真を撮りためていました。☟
当時、日本のアニメやマンガの人気が世界的に拡大しつつあることや、人々の生活の一部となりつつあることは、
Anime(アニメ)・Manga(マンガ)という言葉が既に当たりまえのように世界共通語になっていることからも理解できました。
けれども、実際に「ドラえもん」がバングラデシュのこども達にまで浸透している様子を目の当たりにすることは、
やはりとても新鮮な驚きでした。
ところが、バングラデシュのこども達に愛された「ドラえもん」も、2013年2月に放映禁止に追い込まれたのでした。
その理由は、こども達が夢中で見ていた、「ドラえもん」を含む他のこども番組は、
主にDisney Channel Indiaのもので、お隣インドのヒンディー語吹き替え版が多かったため、
「ドラえもん」やその他の番組に夢中になるこども達が、
母国語のベンガル語ではなく、アニメの影響で、家庭でヒンディー語を話すようになってしまったからでした。
未来の国を担うこども達には、まず自国の言葉をしっかりと身につけて育って欲しいという強い願いがそこにあったようです。
そこには、独立時から、母国語のベンガル語をとても大切にしてきた国ならではの、
自国のアイデンティティを揺るがす懸念と向き合うという強い姿勢がありました。
こども達の純粋な娯楽の世界とは異次元の政治的な意味が多分に含まれますが、
私はそんなバングラデシュ国民の自国の言語への強い誇りとこだわりを
ある種の深い敬意の念をもって受け止めました。
「ドラえもん」の放映禁止理由には、その他に、
困るとドラえもんに頼るのび太君が、嘘をついたり、怠ける姿が教育上好ましくない
という意見も出ていたようです。(笑)
気になって調べてみたら、その後2014年4月にベンガル語吹き替え版がAsia TVチャンネルで放映され、
その同じ番組が繰り返し再放送されているということでした。
(ちなみに、2020年5月現在に少し調べてみると、2016年にはインドやパキスタンでも、のび太がこども達に与える悪影響についての議論が巻き起こっていたようです。)
何はともあれ、ここにある写真の通り、こども達に人気があったドラえもんの世界が、
こども達から完全に奪われなかったようだと知ってホッとしました。
こども達には、こどもの純粋な娯楽としての「ドラえもん」の世界があって欲しいと思うからです。
ダッカで暮らしていた時には、ただ面白がって、街に氾濫する不思議なドラえもんグッズを撮影していただけでした。
文化が広まり、現地に取り込まれ、著作権などを超えた次元で広まる面白さ。
世界に羽ばたいて一人歩きするその模様がとても愉快だと思いました。
一つの文化、信条、芸術、技術、学問、信仰、
なんでも言えることなのでしょうけれど、
こうして文化やアイディアを輸出する時、
一旦海を渡ると、元々の制作者の意図や考えを超えて、また新しい意味づけや、価値観が生まれたり、加えられる
ということを、深く考えさせられる一つのきっかけとなりました。
ふと立ち止まってこの投稿を懐かしみながら、
私たちが今日生きる世界と時代について考えてしまいました。
今、私たちに要求される人間としての力について。
とかく私たちは自分の立ち位置から、すぐに善悪の判断をしてしまいがちですが、
多様な情報が氾濫する現代だからこそ、一旦冷静になり、
より客観性をもてるように、あらゆる情報や知識に貪欲になることの必要性。
判断を下す前に必要なのは、何よりも自分とは違う価値観や信条をもつ人間の立場を知り、
出来れば相手の立場に立って相手を理解しようとする想像力をもつこと。
また、そんなことを、私はバングラデシュで痛いほど教えられたことも、合わせて思い出しています。
何気なくこのバングラデシュでの「ドラえもん」の動向を振り返ってみたら、
国を越えた時に遭遇する価値観や考え方の違いが浮き彫りになりました。
そして、改めて何が正しいのかということは、ゆっくりと多角的にみてみないと、判断を導き出せないものだ
と思いました。