2つのイード
既に、バングラデシュで生活する機会を与えられたことによって
私自身がそれまで触れることがなかったイスラム教の人々の信仰を
現地でどのように体験して、どのようなことを感じていたかを
ラマダン月、そして、日々聞こえてくるアザーンに触れながら記してきました。
そこで、今回は、ラマダンを守る一か月が終わった後の大切な宗教行事二つについて書きたいと思います。
正にあと数日したら、パキスタンでは2020年は5月22日から27日までの六日間、
また、他のイスラム教を信仰する人々も同時期に
彼らが心から楽しみにしている祝祭の一つが始まります。
皆さんは、イードという言葉を聞いたことがありますか?
私は、バングラデシュに行くまで、イードという言葉を一度も耳にしたことがありませんでした。
けれども、バングラデシュの地に着いて生活を始めると、すぐにイードという言葉を幾度も耳にするようになりました。
特に、私達家族のために働いてくれていたメイドさん、運転手さん、
そして暮らしていたアパートの管理人さん、新聞配達員さんや、ごみ収集の人たちまでが、
イードという言葉を口にしながら、ソワソワ。
そこで、彼らにとってのそのイードとやらが、かなり大切であることをすぐに察知しました。
このソワソワの理由は、もう少し後に記しますね。
イスラム教には、二つのイードがあります。
いずれも、イスラム教を信仰する人々の最大の祝祭で、
ラマダンの断食明けに祝われるのが、Eid-ul-Fitl(イード・ウル・フィトル)
そして、この一つ目のイードから約2か月後くらいに、
Eid-ul-Adha (イード・ウル・アドゥハ)と呼ばれる、通称「犠牲祭」というお祭りがあります。
イードは、いずれも宗教的な色が濃い行事ですが、
人々の動きを想像する上では、
日本のお正月やお盆をイメージするといいかもしれません。
全ての人々が一週間ほどの祝日を与えられ、多くの人々が里帰りするので、
バングラデシュではバスや電車の屋根にまで人が乗って移動するような光景が見られました。
以下に、YouTubeで見つけた映像のリンクを残しておきます。
最初の断食明けのイードは、家族、親族が皆一同に集まるという意味で、とても大切な祝祭です。
普段、街に出稼ぎに来ている人たちも、一斉に田舎に帰っていくので、その時には街中がガラーンとしていました。
そして、人々は里帰りに合わせて奮発して、家族や親族のために新しいお洋服やプレゼントを用意し、ご馳走のための食材を用意して、交わりの時をもつようでした。
前述した、私達の生活を支える人々のイード前のソワソワですが。。。
このようなイードのお祝いをするためには、かなり出費が嵩むので、
ボーナスをもらうことを期待していたのです。
額の目安は、だいたいお給料一か月分くらい。
これはとても大切なボーナスなので、
私達のようにイードを知らない外国人のもとで働く人たちは、
互いに「あの人達は、ちゃんとイードボーナスをくれるだろうか!?」とハラハラして
私達の様子をうかがいながら、イードがいかに彼らにとって大切なのかを説明してくれるのです。
もちろん、その時にボーナスがもらえることも。。。
そういう意味で、現地の人達はイードの時期が近づくと、ソワソワ、
それと同時にとてもワクワクしていました。
日本人のみならず、外国人全般にとって衝撃的だったのは、
断食明けのイードよりも、むしろその後にくる第二イードの「犠牲祭」でした。
この「犠牲祭」が近づくと、今度は主に外国人の私達がソワソワしだしました。
外国人の大半は、「犠牲祭」には国外に脱出して、近隣の国に旅行に出るか、
あるいは、国内に残る場合には、
とにかくこの時には家の中にじーっとこもることを選ぶ人が多くいました。
なぜだかわかりますか?
それは、「犠牲祭」という言葉からも想像がつくかもしれませんが。。。
このイードの時には、実際に街中で牛やヤギ、鶏、時にはラクダが
生贄として神に捧げられるのです。
ただ、これは悲惨な意味での「犠牲」ではありませんでした。
「犠牲祭」は、
預言者イブラヒムが神の命令に従い、
自らの幼い一人息子を神様に対する生贄として捧げようとした
という教えから始まっているようです。
お話はそこで終わらず、最終的にアラーの神は、
愛する我が子をも神に捧げようとしたイブラヒムの信仰の深さを知り
息子ではなく、その代わりに羊を生贄とすることを命じられたようです。
こうしたイブラヒムの信仰を記念するのが、この第二イードなのです。
そして、イブラヒムの行ないに従い、
ムスリムの人達は、年に一度、
自らの収入に応じて、神様に生贄を捧げるのです。
捧げられた生贄の肉は、三頭分され、
1) 動物の所有者
2) その家族、友人、隣人
3) 恵まれない貧しい人々
の間で分かち合うのが慣習のようです。
さて、このEid-ul-Adha (イード・ウル・アドゥハ)が近づくと、
バングラデシュでは、普段使っている生活道路
それも、家やアパートの前などに動物たちが集められてきます。
と言われて、皆さんの頭の中で、私が何を言っているのか
イメージが沸きますでしょうか?
少し丁寧にご説明すると、「犠牲祭」であるイード・ウル・アドゥハの少し前になると
街に出ると牛やヤギを積んだトラックを沢山目にするようになります。
そして、幹線道路沿いには、動物たちの簡易市が立つようになるのです。
ちょうど昨年の夏にイスラマバードを訪れた時に見た
生贄に捧げるための動物の市の映像があるので、ここにアップしてみます。☟
人々は、自分達の予算に合わせて、牛やヤギや羊を購入して持ち帰るのです。
バングラデシュでは、牛やラクダが高級で、牛を買えない人々は、ヤギを選んだり、鶏を買う人もいました。
牛も、その大きさや品種によって、値段は大きく違うようでした。
私達が暮らしていたアパートのお金持ちの人たちの中には、一家族が何頭もの牛やヤギを購入しているケースもありました。
イスラマバードでは、こうした動物を自宅の周りで生贄にすることは禁じられているようで、そのための特別な場所があるようです。
ただ、私が暮らしていたバングラデシュの首都ダッカでは、
皆さん普通の住宅街でこの儀式を行っていました。
なので、「犠牲祭」が近づくと、普段の生活道路に突然簡易的な牛小屋が建てられ
「犠牲祭」まではそこで牛やヤギが飼われるようになります。
私が暮らしていたアパートの前にトラックで運ばれてきた牛と、突然あらわれた動物小屋はこんな感じ☟でした。何頭か種類の異なる牛とヤギがいますね。
上のスライドショーに出てくる白いコブ牛は、インドからやってきた高級な牛でした。
余談ですが、ネパールと同じく、インドもヒンズー教の影響がその文化に色濃く存在する国です。
そのヒンズー教では、牛は神聖な動物で、決して食べてはいけなく、とても大切にされています。
ですから、ネパールで暮らしていた時には、道路のど真ん中を牛が我が物顔で闊歩する姿がよくみられました。
上の白い牛が、インドから来たと書きましたが、
バングラデシュでそれをきいた時、私はなんとも複雑な気持ちになったことをおぼえています。
なぜなら、ヒンズー教が信仰される国では神聖な動物が、バングラデシュやパキスタンという隣国に国境を越えて売買されると、今度はそこで信仰されている別の宗教に従い、神への生贄となり、食されることが
なんとも動物たちにとって理不尽な、人間の身勝手に感じられたからです。
そんな光景を目にしながら、
人間の信仰と行いを区切る、人間が作った一線が、それぞれの神の目にはどう映るのか
とても大きな疑問をもったのでした。
話をずーっともとに戻すと、
私が暮らしていた当時のバングラデシュでは、この第二イードには
普段生活をしている場で、当たり前のように動物たちが生贄として捧げられていました。
つまり、生贄が捧げられる儀式の全ての過程がその場で行われるので、
必然的に動物たちの血もそこで流されていました。
例えば私が暮らしていたアパートの場合。。。
私達のアパートの地上階は、すべて駐車場になっていました。
スペースにすると、30台ほどの車を駐車できるスペースを想像してみて下さい。
「犠牲祭」の当日は、その駐車場の半分の車が敷地外に出され、
駐車場が動物たちの生贄と解体の場となっていました。
つまり、その前日までアパートの前にいたすべての動物たちが、
正式な祈りの後に、駐車場で解体されていたということです。
そういったことから、「犠牲祭」に慣れていない外国人の多くは
この宗教的祝祭が、とても残忍で耐え難いものと感じ
この日を避けるために、国外に出るか、自宅でじっとすることを選んでいたわけです。
私も、バングラデシュで暮らした3年のうちの最初の年は
話をきくだけで恐怖に慄き、国外に出ました。
けれども、だんだんと現地での生活に慣れ、ムスリムの友人の話を聞くうちに
一度は先入観や恐怖感を捨てて、出来るだけまっさらな気持ちで
身近に起こるこの大切な行事を体験することを決めました。
「犠牲祭」当日の朝、暮らしていた5階の自宅からエレベーターを降りて地上階に着くと、
同じアパートの別の階に住む顔見知りの裕福なご家庭の旦那さんが、
祝い事の日のおめかしをして、ピカピカの革靴を履き上機嫌で駐車場に立っていました。
そして、「私の牛を見ていきなさい」と笑顔で手招きをしてきて、
すぐにどこかからソファを持ってきて、駐車場のど真ん中に特等席を作ってくれました。
そこに座ると、目の前では、
次から次へと牛やヤギに祈りが捧げられ
動物のうなずきの合図に合わせて、彼らの首が切られていきました。
そして、あれよあれよという間に
さっきまで生きていた動物たちが横倒しにされ、血が抜かれ、割かれ、解体され、
その日のためにそこに呼ばれていた肉加工職人さんたち5人くらいの
素晴らしいチームワークで、トントントントンリズミカルに
調理しやすい大きさの食べやすいお肉にされていきました。
その動物たちを購入した当の旦那さんは、
とても誇らしげな顔つきで、お肉の解体作業を眺め
切り出されていくお肉の分配の仕方を指示していました。
前に記しましたが、これらのお肉の全ては、あらゆる人々と分かち合うので、
お肉の塊を、どのように誰に分配していくのかについても詳しく指示を出しているようでした。
私自身は、一生懸命恐怖感と自分がもつ先入観を必死で押し殺していましたが、
目の前で繰り広げられる光景が、あまりにも明るく、楽しそうで、幸せそうだったので
少し救われた思いがしました。
さて、アパートの駐車場の光景は、少し生々しかったので、
私のアパートではなく、近所の様子を写した写真を少しご披露します。
以下がその日に私が書いた文章です。
「今日はご近所のどこに行っても、
アパートやお家、道路で数えきれないほどの牛や山羊が生贄として捧げられていました。
その光景は、慣れない者にはやっぱり衝撃的で、
魂のエネルギーを吸われてしまうような疲労を伴うものでした。
彼らの行く末がわかっていたからか
アパートの外に特設された簡易小屋から昨夜まで聞こえていた牛や山羊の声はなんとも切なく、
胸を突き刺すようでしたが…
同じ時刻の今夜は、動物達の肉がさばかれている音が聞こえて胸をしめつけます。
気持ちの整理をするのには、少し時間がかかりそうですが、
「命のはかなさ」と重みについて考える大切な日になりました。」
あれからもう何年も経ちますが、この時の体験は、今でも胸に焼き付いています。
「犠牲祭」を体験して、私自身が学んだことは、
外国人、そして異教徒として、
この儀式を恐怖、批判、好奇の目で見ること、
または目をつむることははいくらでも出来るけれども。。。
少し冷静になって、落ち着いて理解しようとした時
そこには大切なメッセージが二つあるということでした。
一つは、私たち自身の生活と生命そのものが、このような生き物の命を分けてもらって初めて成り立っているということ。
文字通り、動物たちの命が捧げられ、私達の食物に変えられていく過程を見届けることによって
私達の生命を維持するために、多くの命が「犠牲」になっていることを心に刻みました。
これに加え、この日の夕方、
駐車場で解体された牛のお肉の一部をおすそ分けとしていただきました。
少し抵抗はありましたが、その命を見届けた者の一人として、
私もそのお肉を調理して、口にする責任を感じました。
なので、牛の尊い命をいただいたことを、心から感謝しながら、その命を味わいました。
このことによって、頭ではわかっていても、普段はあまり実感が沸かない
「私達が自然界のサイクルの一部として生かされている」ということを強く噛み締めました。
また、動物たちの解体作業を目にしながら、その体の全ての部位が、余すことなく有効に分配され使われていくことの見事さを目の当たりにしました。
お肉として食べ物になっていくだけではなく、
生贄という形で、動物の命をいただく代わりに、
その皮も、肉も、内臓も全て必要な場所に分配されていくことを学びました。
例えば、こうした時に出る動物の皮は、モスクに寄贈され、やがてその皮が売買され、革靴や革の鞄などの製品になって、実は世界各国、日本にまで輸出されていたりします。
また、動物の内臓の一部などは、楽器にも使われたりします。
そして、お肉は、生贄の動物を購入した本人とその家族だけではなく、友人がご近所さん、そして貧しい人たちにも分け与えられるのです。
つまり、このお祭りを通して人々は、
神から生かされていること、命を与えられていることに感謝を捧げるだけではなく、
さらには、分け隔てなく互いに富を分かち合う喜びを体現していたのだと感じました。
日本で、特に街中で暮らす私達は、普段、スーパー、市場、その他の食料品店で、すでに加工された多くの食材を購入し、食べて生活をしています。
お魚やお野菜などは、その原型をしっかりと確かめることが出来ますが、
お肉を手にする時には、すでに原形からほど遠い状態で購入するので、
いちいちそのお肉となったもとの動物を想像することもほとんどないですね。
そんな生活に慣れてしまっているので、
突然「犠牲祭」という儀式に出くわした時
なんとも複雑な心境になりましたが。。。
実際に体験してみた時、
「あ~。私はこうして多くの他の命の犠牲のもと、生かされ続けているのだ」と
なんとも感慨深い思いにひたりました。
長くなってしまいました。
「本当だったら、今頃断食明けの最初のイードをパキスタンで迎えていたはずだったんだけどな~」
と思いながら、ちょっと過去を振り返ってみました。
このコロナ禍の中、
二つのイードを迎えるムスリムの人々の健康が守られ
彼らにとって大切な宗教行事を、祝福の中に執り行うことが出来るよう祈ります。