ラマダン月
皆さんはラマダンという言葉を耳にしたことがありますか?
長い間、私は「ラマダン=イスラム教の人の断食=全く食物を口にしないこと」と考えていました。
それも、その断食とは、一日中全く食物を口にしないことだと勝手に思い込んでいました。
そして、「これを一か月もするイスラム教徒の人たちは、本当にすごいな~」と感心していました。
一か月断食を続けることが出来るような強い信仰心と自制心がある人達がいるなんて。。。
と、それ以上のことはずっと考えたこともありませんでした。。。
けれども、ちょっと立ち止まって考えれば、
「一か月も何も食べなかったら、どんなに信仰心があっても誰だって死んでしまうかも?」ということに普通は気づくはずですね!?
それくらい、ラマダンが自分とは無縁の遠い世界のことだったということでしょう💦
アメリカ、チリで生活をする間は、どちらかというとキリスト教文化に触れることが多くありました。
ネパールでは数えきれないほど沢山の神様が混在するヒンズー教とチベット仏教文化に囲まれて生活をしていました。
なので、初イスラム教文化圏、バングラデシュでの生活は、それ自体とても新しく、刺激的でした。
そして、そのバングラデシュで初めてラマダンの様子を目の当たりにすることになりました。
すぐに分かったことは、「ラマダン=断食(全く食物を口にしないこと)」ではないということ。
断食をするのは、日の出から日没までの間で、日没後は食事をすることが出来るということでした。
全く想像もしていないこととして驚いたのは、この断食の間は、食物を口にしないだけではなく、水を含む水分も飲んではいけないということ。
さらには、うがいをすることも禁じられているそうです。
これは衝撃的なことでした。
特に私がバングラデシュで生活をしていた頃は、ラマダン月が一年で一番過酷な暑さに見舞われる時期と重なっていたので、ラマダンを守る人々が脱水状態になってしまうのではないかと、陰ながら皆さんの命の心配もしていました。
実際、水分が不足して血液の流れが悪くなり、お亡くなりになった方のお話もきいたことがあります。
暑い季節、ということは、日の出から日没の間の時間も長いということ。
いくら日没後は食べるとは言っても、
そんな過酷な「苦行」にしか見えないことを一斉にやってのける、
その信仰にはただただ圧倒されました。
(詳しいことは、調べていただくことにして。。。)
こうしてラマダンを通して、空腹や飢えを体感し、
神の前に謙虚になり、
人間としての自分の生き方を見直し、反省する。
与えられている恵みを見つめなおす。
不平等による格差にも思いをよせる。
恵まれない他者に対して目を向ける。
そして、何よりも彼らの聖典であるコーランを読み、祈る。
そうしてムスリムの人たちはこの一か月、
それぞれが神様と向き合い、自分達の信仰と精神世界に浸るのだと理解しました。
ただ、バングラデシュで一時的に生活をした異教徒の立場からは、
ラマダンは違う意味での驚きの宝庫でした。
そして、ただ日没後に食事をするだけではなく、
実はラマダン月が、一年の中で一番国の食料の消費量が増える月でもあることにすごく驚きました。
つまり、皆さん日没後には結構ご馳走を食べるのです。
街のレストランなども、このラマダン月に合わせて活気づき、
日没後の食事、イフタールのスペシャルメニューというのを用意したりします。
そして、歩道にまで店を広げてイフタールの品々を売っているお店が多くありました。
ちょっとだけ「な~んだ。食べるんじゃん!? しかも、すっごく食べるんじゃん!?」と
「断食」という言葉を勝手に神聖化していた自分の想像を大きく裏切られたようにも感じました。
日没後の食事も、一回ではなく、しっかり日中食事をしない分をも取り戻す回数。
日の出の直前にもしっかりと食べて、日の出を迎えるのです。
ある意味、昼夜逆転の食生活。
そんな信徒達の生活が続くラマダン。
断食が関係ない生活をする者としては、
正直ラマダンはちょっと苦手でした。
何故なら、夜食事をし、祈る人々は、朝はとても疲れて眠たそうなのです。
だから、商店が開く時間も通常よりも遅くなる。
そして、皆さん日中省エネモードになるので、サービスも動きも鈍くなる。
まして、午後3時頃になるともうイフタールが待ち遠しくなり、お仕事に集中できなくなります。
夕方5時くらいになると、帰宅を急ぐ人々は殺気づきはじめ、
人間同士のイライラによる衝突も目にするようになります。
ある意味、人間の醜さや弱さもはっきりと見える場面も多くありました。
あるラマダン時、洗濯機が壊れてしまった時には、まず修理屋さんの電話が通じない。
通じても、いつ修理に来てもらえるかわからない。
気長に待って、やっと来てもらえたとしても、必要なパーツが無かったら
「じゃあ、また明日来るよ」。
そうして、結局修理完了までに3日かかるということもありました。
ラマダンは、私にとっても、断食こそしないにせよ、いつもの日常生活とは異質の一か月の訪れでありました。
とは言え、やはりイスラム教を信仰する人々にとっては大切な一か月。
イスラム教の国で生活する外国人として、彼らの宗教と文化の邪魔にならないように
じっと彼らの大切な儀式を見守っていました。
さて、今はまさにラマダンが始まって、3週目に突入する時期です。
夫が生活をするパキスタンもイスラム教の国。
そして、世界中のムスリムの人々が、日々ラマダンを守っています。
日没後の食事、この期間のモスクでの礼拝は大切な宗教儀式。
今年は、ラマダンと重なるように広がるコロナ禍。
イスラム教の国々では、一時コロナ感染の拡大を抑止するために、
信徒のモスクでの礼拝も禁じていたようです。
ただ、彼らの信仰上とても大切なこの月、
もはやラマダンにモスクを閉鎖することは出来ない様です。
パキスタンでも、感染者の拡大が続く中、モスクが信徒に開かれました。
生活リズムが不規則になり、
体力も必要なラマダンの時期。
この大切な宗教行事を守る世界中の人々の健康が守られることを祈らずにいられません。