二つの「ありがとう」

「ありがとう」と言うことが大切だ
というけれど…

やみくもに「ありがとう」
という言葉を発することが
心からの感謝の意を伝える行為だとは思わない。

口にした「ありがとう」が伝わらない時もある。

どうしても「ありがとう」が言えない時もある。



「ありがとう」には大きくわけて
二つの種類があると思う。

一つは比較的簡単な「ありがとう」

自分にとって

「肯定的」な言葉や行為
「嬉しい」こと
「楽しい」こと
「好き」なことや人
「好ましい」ことがら
「都合がよい」こと
「ためになる」こと
「あきらかに利益になる」こと

にたいして口にする「ありがとう」

これは、誰にだって容易く言える。

そして、伝えやすい。


でも、もう一つの「ありがとう」は、言うのが難しい。

そして、伝わりにくい。

それは、自分にとって

「辛い」こと
「嫌い」なことや人
「痛い」こと
「イヤ」なこと
「認めたくない」こと
「耳をふさぎたい」こと
「理解出来ない」こと
「逃げ出したい」こと

にたいしての「ありがとう」

どんな人も、これらのことには簡単に
「ありがとう」が言えない。


自分にとって
「批判的な」こと
「都合の悪い」こと
「明らかだけど、避けたい事実」
「気づいていない事実」
「マイナスな出来事」
「受け止め難い言葉」
「表面上、好意的に見えない態度」
「敵対するように見える関係」
「痛い指摘」
「マイナスなこと」
そして、そういう「人」
に遭遇した時

素直に「ありがとう」と言えているだろうか?

自分にとって辛いことを言う人は

「悪い人」
「いやな人」
「自分を嫌う人」
「間違っている人」
「自分にはいらない人」
「排除すべき人」
「自分の人生を不幸にする人」

だと思ってしまうことがある。



どうしたら、

二つ目の「ありがとう」が言えるのだろう?


心が健康な時は
「痛く」ても
「理解出来なく」ても
「イヤ」でも
「辛く」ても
二つ目の「ありがとう」
素直に言える時がある。

いくら耳を塞ぎたくても、
いくら目を伏せたくても、
逃げないで
「一旦受け止め」
「理解する努力」をして
「自分の何が悪かったんだろう?」と
「考え」ることが出来る。

心が元気なら
冷静になって
言われたことが「本当なのか」
立ち止まって「自分をかえりみる」ことが出来る。
自分はいったいどんな状態なのか考えられる。

自分の中に澄んだエネルギーが満ちていたら

自分にとって最初は不都合に思える言葉にも
ちょっと痛い出来事にも
真っ直ぐ向き合う強さが
湧き出てくるような気がする。

そして、ちょっと重たい心を静め
誠実に「ありがとう」と言える。

絞り出すまでは努力が必要だけど、

いざその「ありがとう」が言えたら、清々しい。


同じ「ありがとう」なのに
二つの「ありがとう」の違いは何なんだろう?

難しい方の「ありがとう」が言えるのは、

相手からの厳しい言葉の中に、
「愛情」
「思いやり」
「学び」
「成長の機会」
「変化のチャンス」
「新しい自分になれるきっかけ」
「真の喜びの源」
「人生を幸福に生きる鍵」

などが 隠されていることを
素直に理解できる時かな?

だから、心にチクッと痛みを感じても
「ありがとう」を絞り出せる。


二つ目の「ありがとう」が言えないのは

それ自体 辛いことだと思う。

何故なら、

一生懸命その先に進もうとしているのに
結果的にはずっと同じ場所で足踏みしていることになるから。



一つ目の「ありがとう」も もちろんとても大切。

けれども。。。

二つ目の「ありがとう」
気持ち良く言える人でありたいな。

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