一年越しの贈り物🎁

これまで

いくつかの国で生活をしてきましたが

振り返ると

それぞれの国で

忘れられない出会いに恵まれてきました。


そうして出会った人々とのつながりや

心の交流が

その後も自分の人生にとって

大きな財産となり

生きる糧になっています。


基本的には、どこで生活をしていても

出来るだけその国の良いところを探して

感謝をもって暮らすようにしてきました。

どんなに辛いことや、心が痛むことがあっても

一見マイナスと思える経験にも

必ずそこに学びがあり、

明るい面があると信じてきました。


生きているその場、その瞬間には

ただ目の前にあることと向き合うことに必死。

その時に突きつけられた課題に取り組むことで精一杯。

課題の真っ只中にある時には

自分が導き出した結論と行動が

本当にそれで良かったのかなど

わからなかったことが多々あります。


それでも、その時に自分に出来る

最善を尽くすように努めてきたつもりです。


さて、2010年から2013年まで生活をしたバングラデシュでも

多くの素敵な出逢いがありました。

その中でも、生きる上での大切な指針を一緒に築いてくれた

特別な人がいます。


それは、お家のお手伝いをしてくれていた

ソニアという「女中さん」です。

夫の前任者から受け継いだその女性は

若くしてご主人を亡くし

シングルマザーとして

二人の娘さんを育てている方でした。

当時、病気がちのお母さんの面倒も見ながら

私達から受け取る少ないお給料で家族を養う人でした。

その頃、ムスリムの国で

女性ばかりの世帯を養っていくことは

並大抵のことではありませんでした。


私がダッカに居た頃には

既に上のお嬢さんが学校を卒業して就職をする頃で

下のお嬢さんは、私の娘と同い年の高校生。

お年頃の女の子を育てる母親として

多少家賃がかさんでも、

安心して娘たちを育てられる住環境を確保することも

ソニアにとって大きな課題でした。


当時の私は、ソニアを雇用する立場でしたから

彼女の抱える苦労を聞きながらも

妥協をせず、心を鬼にしてでも

お家の中のお仕事はきちんとしてもらうよう促すようにしていました。


同じ人間、もちろん彼女の事情を知ると

出来る限りのお手伝いをしたいと思いました。

けれども、私自身も

慣れない異国で

自分の家族の生活を守ることだけで必死でした。

自分の生活を整えながら

彼女との関わりにおいて

多くの葛藤を抱えながら過ごした日々でした。


ソニアを雇用する「マダム」と

「女中さん」であるソニアという

目に見える、この世的な関係ではありましたが

実際は、それを超越したところで

私はかなり早い段階から

ソニアという人が

本当に高貴な魂を持つ女性であると

思うようになりました。


読み書きも計算も出来ないけれど

人間としての凛とした佇まいを備えたソニアの姿と

「娘たちを世間に出しても恥ずかしくない

教養ある女性達に育て上げたい」という彼女の強い意志に

同じ女性として、敬服することが多々ありました。


バングラデシュは、私にとって初めての

イスラム教の国でしたが

私はソニアの深い信仰心に触れることで

偽りの無い真の信仰についても学びました。


キリスト教とイスラム教は

同じ根っこを持つ宗教。

彼女の持つ信仰と

私自身が持つ信仰に多くの共通点を見出し

気づいたら

出会って早々

二人で信仰的な話をするようになっていたのも

とても不思議なことでした。


バングラデシュでは、

私自身、精神的に重たい出来事と向き合うことが多くありました。

立っているのもやっとだと思えるような日にも

家族のみならず

ソニアという人がそばに居てくれたおかげで

前に進むことが出来ました。

今でも忘れられないのは

私が本当に疲れ果てている時

「マダムねんねしなさい」と

ベビーシッターをしていた頃に覚えた日本語で

休むように促してくれたソニアの優しさです。


そして、バングラデシュに居た時も

バングラデシュを離れてからも

ソニアと出会えたことは

天からの贈り物だと信じてきました。


もちろん、良い思い出ばかりがあるわけではありません。


安月給でありつつも

娘たちに苦労をかけたくないソニアが

我が身を削ってまでも

娘たちに可能な限りの贅沢と

良き教育を授けようとする姿に

「これでは火の車になってしまうから

もう少しこども達に我慢をさせなくては」と

ハラハラしながら話したこともありました。

ムスリムの国で

そうでなくても女性だけの家庭で

稼ぎ頭として生きることは

簡単なことではないわけですから

ソニアが身の丈を越えた無理をすることが

私には心配でならなかったのです。

なんせ、彼女が倒れてしまったら

元も子もないないわけですから。


特に、彼女達よりも裕福なご家庭に

長女さんが嫁ぐことになった時には

嫁入り道具や電化製品を揃えるために

高額の借金を抱えることになるソニアの姿を見ていられなくて

幾度も一緒にお金の計算をしたことは

忘れられません。

正直、祝福どころか、

私は、ソニアの頭痛の種が増えることを

ただ嘆いていました。

そもそも、お買い物に行ってもおつりの勘定が出来ないほど

ソニアは全く計算が出来なかったのですから

嫁入り支度の品々を聴き取り、

その金額を彼女に代って紙にリストアップしながら

「お金も無いし、計算も出来ていないのに、こんなにゼロが並んでいる!!」と

一緒に泣きたくなりました。


私達が支払うお給料で

長女さんを嫁がせ

もう一人の娘さんとの生活も続け

病気のお母さまの薬代も支払いながら

一体何年かけたら

ソニアは借金が返せるのか?


ソニアの負担を考えたら

出来るだけ質素な嫁入りにすることを提案したいのに

まだ若くて夢多き娘さんは

高額なテレビや家具を欲しがる。

かと言って、お金持ちでも無い私が

彼女にお金をあげることも出来ない。

「私は神様ではないから、神様の代わりは出来ない。

継続出来ない支援は出来ない。」

幾度もそう自分に言い聞かせていました。


当時の私は、

ただただ彼女のその先の人生を心配して

お金の計算と

今後の返済計画を一緒に考えることしか出来ませんでした。


それに、娘さんが結婚すれば

それで安泰なわけではなく

その後、大きな行事の時やお誕生日に

義理の息子さんやご両親に捧げる贈り物にもお金がかかる。

ソニアが嘆く度に

私まで胃がきゅーんと痛くなりました。


嫁いで本当に間もないある日

長女さんが、結婚の淡い夢から目覚めました。

嫁ぎ先で、満たされた生活を経験し

幸せであればあるほど

その幸せが

お母さんのソニアの苦労の上に成り立っていることに

不意に気づいたのでした。

「自分はこんなに良い生活をし

良い家で暮らし、良い食事が出来ている。

嫁ぎ先で嫌な思いをしなくて済むだけの

嫁入り道具も揃えてもらった。

それは、全てお母さんのお蔭なのに

自分だけがこんなに幸せでいいのか?」

娘さんが泣きながら

ソニアに電話をしてきたのです。


そして、長女さんはその時になってようやく

ソニアに心からの感謝を伝えたのでした。

でも、その話をきいた私は、

「気づくのが遅いよ。もっと早く気づいてよ!!」と思いました。


ソニアの深い愛情にからくる長年の自己犠牲に気づいた長女さんは

その時「これからは、自分に出来る限り、お母さんを支えていくから」と

経済的な面でも、自分に出来ることをしていくことを

ソニアに約束したのでした。


こんな風に

私はソニアの人生の一時期に寄り添い

同時に、ソニアは当時私が抱えていた

多くの悩みや重荷を一緒に背負ってくれました。


「マダム」と「女中さん」ではありましたが

そんな社会的な立場を越えて

言葉の壁を越えて

お家の中で女二人

素の人間として

人生の深いところまでを共有しました。

当時の私は

ソニアの傍にいる時

一番安心して心安らかでいられました。


そういう意味でも

ソニアは

私の人生において

大切な大切な人であり

決して忘れられない存在であり続けているのです。


それに、とても変に聞こえるかもしれませんが

ソニアは、「マダム」としての私に

お家の中で働いてくれる人や

運転手さんに「マダム」としてどう接したら良いのか

どういったところに注意をしたら良いのか

どういう心がけをもつべきなのか

といったことも、

丁寧に教えてくれたのでした。


そうした教えが、後の私のパキスタンでの「マダム」生活や

今のジンバブエ「マダム」生活でも生きています。



さて、バングラデシュを離れてから

かれこれ10年強経つ今

何故こうしてソニアのことを記しているかと言うと

実は、ある出来事を経て

数日前に、またソニアとリアルタイムで繋がることが出来たからです✨


そもそもの発端は

パキスタンから帰国した昨年の夏、

パキスタン勤務の後に

バングラデシュに転勤されたあるご家族と

再会する機会をいただいた時に始まりました。


その時に、ふとソニアのことが頭を過り

そのご家族がバングラデシュに戻られる時に

ソニアへの小さな贈り物🎁とお手紙を預かっていただけるように

お願いをしたのです。


そして、その贈り物🎁とお手紙は

はるばるバングラデシュへ🛫と旅立っていきました。


ただ、この10年の間に

コロナ禍と

私がバングラデシュを離れた後にあった

邦人を巻き込むテロ事件の影響もあり

現地の邦人の方々の行動範囲や交流の在り方に

大きな変化があったのです。

ですので、私が想像していたほど

ソニアに贈り物🎁を届けることは容易なことではなかったことを

やがて知ることとなりました。


数か月経った後、

最初に贈り物🎁を預かって下さったご家族がダッカを離れることになり

現地永住組のお友達に🎁が託されました。

それからまた、その多忙な友人宅で🎁が数か月温められた頃。。。


夫にある方から連絡が入りました。

その方は、私達の前の前にソニアを雇用されていた方で

「マダムねんねしなさい」のご家庭のご主人。

なんと、「11年ぶりに単身でダッカ勤務が決まった」というお話でした。

そこで、わかるようであれば「ソニアの連絡先を教えて下さい」と。


幸い、ソニアの電話番号を持っていたので

すぐに、その方にソニアの連絡先をお伝えしました。


やがて、この8月にその方が着任され

ソニアに連絡をした結果。。。

ソニアと連絡がつき✨

「また彼女にパートタイムで働いてもらえることになった」というお知らせもいただきました😊


そこで、チャンスとばかりに「一つお願いがあるのですが。。。」

と、ソニアへの贈り物🎁を受け取り

ソニアに渡していただけるようにお願いしたのでした。


なかなか配達されない贈り物🎁の行方は気になってはいましたが

「なるほど、この時に

この方の手から届けられるために

この贈り物🎁は長い旅をしていたのだな~」と思いました。

何事にも、一番適した、時があるのですね。

そうして、私がまだ日本に居る頃に送り出した

私からのソニアへの贈り物🎁とお手紙は

多くの方々のご好意と手を伝い

(ついでに私のジンバブエへの転居もはさんで)

約1年3か月の時をかけて

めでたくソニアの元に届いたのでした✨


素敵なめぐり合わせと、はからいによって

同じようにソニアを大切に思っていらした

以前の雇用主さんの手から

ソニアに渡していただいた贈り物🎁は

パキスタンから持ち帰った刺繍入りショールでした。

そして、ソニア本人は文字は読めないけれど

お手紙には私達家族の写真を同封し

家族の近況と、私の連絡先を綴っておきました。


こちらが👇それを受け取ったソニアの姿です😊

約10年ぶりに見る彼女は

当時と変わらぬ美しい笑顔で

胸いっぱい、涙がこぼれました。


「元気そうで良かった!!」


長くなってきた自分の人生の中で

自分が暮らしてきた国々を振り返ると

私の中のそれぞれの国の思い出には

明るい光がさしていて

自然と心が温かくなることがほとんどです。

どの国でも、あまり思い出したくない出来事もありましたが

時と共に全てがちゃんと美化されて

「これでよかった」と思えていました。


バングラデシュでも

本当に良い経験と出会いを与えられました。

フラメンコを再開したこと

心を割って話せる良き仲間に恵まれたこと

こども達とその仲間と沢山楽しいことをしたこと。


それでも、実はずっと

唯一バングラデシュを思い出す時だけ

心の中に暗い影がさして

ちゃんと光の部分を感謝出来ずにいました。

そして、我が事ながら

光がささない自分の心の中のその時代を悲しく感じていました。


ただ、どう考えても

バングラデシュでの私の人生も

とても恵まれ、祝福されていたものだったのです。


だから、ずっと

私の中に残存している暗い影を払拭して

心をリセットし

明るい光の中にバングラデシュの思い出を

置きなおしたいと願っていました。


そんな時に、長い年月を経て

再度ソニアとつながることが出来ました。

贈り物🎁が届いただけで

もう十分幸せでしたが

その翌日

更に嬉しいことが起こりました。


私の手紙を読めないソニアは

長女さんのご家族を頼って

私からのお手紙を読んでもらったようです。

そして、私が書き記しておいた

WhatsApp(海外でよく使われているLineのようなアプリ)に

義理の息子さんからのメッセージが届きました✨


「私はバングラデシュのソニアの義理の息子です。

ソニアが貴女と話したがっているから

電話をかけてもいいですか?」


この日は、珍しく朝から来客があり

本来であれば、その後一緒にランチに出かける予定でしたが

何故か朝から胃がキリキリして食欲がなかったので

急遽、ランチを辞退しました。

そして、その来客が帰られた途端

このメッセージを受信したのです。

胃の痛みなどどこへやら


すぐに「いつでもお電話をお待ちしています」とお返事しました。


そして、すぐに

ビデオ電話がかかってきた携帯の画面には

生ソニアが!!


「私にはスマートフォンなんて買えないから

義理の息子が助けてくれたのよ。

マダムお元気ですか?

プレゼント🎁本当にありがとう!!」


ソニアと繋がった瞬間胸がいっぱいになって

また涙が溢れてきました。

ソニアの存在そのものが慈愛に満ちているのです。

当時は少しは会話も出来たのに

ベンガル語が出てこない!!

でも、かろうじてソニアの言葉は理解出来て

慌てて英語で話す私の言葉もソニアは理解してくれて

あわわわわ~~~~~~!!!!


「今幸せですか?」と問う私に


「お母さんが召されたの」と悲しい顔をするソニア。

「でも、娘は二人とも嫁いだし、幸せよ。

あれから、マダムが紹介してくれた職場でずっと働いています。

皆さんよくしてくれています。

私は幸せです。」


「今も昔と同じお家に住んでいるの?」


「はい。同じお家です。

マダムもまた遊びに来て下さい。

私の家に来てください。

娘たちも近くで暮らしています。」


その後、長女さんが画面に登場。

「母はマダムからのプレゼント🎁をとても喜んでいます。

ありがとうございます。」

「貴女は幸せにしていますか?」

「はい。幸せです。3人の子供に恵まれました。

上の二人は女の子、三人目が男の子です。」


すると、美しい12歳の女の子が

「Hello. How are you?」

それは、最後にバングラデシュを訪問した時に抱かせてもらった

ソニアの初孫さんでした。

綺麗なお洋服に身を包んで

その話し方から、

きちんとした教育を受けていることが伝わってきました。


そして、次にまた美しい女の子が

「Hello Madame」

それは、10歳の次女さん。


この電話一本で

凛と胸を張り

祈りつつ正しく生きてきたソニアの苦労が

長年歯を食いしばってこども達を守り育てたソニアの行いが

確かに天に届き

天が彼女の強い願いを叶えて下さったことを確信しました。


「妹さんも幸せになさっていますか?」の問いにも

長女さんが笑顔で「Of course!!」

私がバングラデシュに居た頃には

彼女達母子の

こんなに力強い「Of course」がきける未来を

想像することなど出来ませんでした。


たった一本のビデオ電話ですが

天からの圧倒的な愛を分けていただくような

強烈なメッセージとなり

私の魂に強烈な光が注がれました。


「貴女のお母さんは、本当に高貴な魂をもった特別な人なの。

私にとっても、とても大切な人なの。

だから、どうか私の分までお母さんを大切にしてね。

私に代って、お母さんを強く抱きしめてね。」


「はい、マダム。母を大切にします。」


電話の後、最近の私の家族の写真を何枚かお送りすると

今度は長女さんご自身の携帯WhatsAppから沢山の写真が送られてきました。


そして、「これからは、母と話したくなったら、

この連絡先に母へのメッセージを送って下さい。」

ソニアと、娘さん達の写真。

10年前にその行く末を心配した母子三人は

逞しく幸せをつかんでいました。

美しい装いで嫁ぐ二番目の娘さんの傍らには

相変わらず控えめで

質素に真っ黒のヒジャブを被ったソニア。

長女さんご夫妻も、

落ち着いたご家庭を育んでいらっしゃるご様子。

時に天は、「どうしてこの人にこんな辛い仕打ちをするのだろう?」と思うような

残酷な運命を授けることがあります。

そして、そうした出来事を前に

人には、あらゆる選択肢が用意されています。


苦しくとも

天の前に可能な限り正しい道を選ぶのか

疲れ果て、仕方なく妥協の道を選ぶのか

それは、人それぞれです。


苦しみを抱えて生きている時間には

絶望に似た心境になることもあることでしょう。


それでも、清らかな魂を保ち続けて

日々を生きていたならば

その先には

ちゃんとその生き方が祝福される時が訪れることを

ソニアの生き様から教えていただきました。


信じて、愛をもって行動をする人には

必ず報いが約束されていることを

ソニアとそのご家族の姿に教えられました。


結婚した当時は

外国人家庭の女中さんというお仕事をしているソニアの職業を恥じらい

そのことを嫁ぎ先に隠そうとした長女さんとソニア。


それでも、10年の時を経て

ソニアが私と繋がることを助けてくれたのは

義理の息子さんでした。


多くを問わずとも

ソニアの深い愛情が

娘さんや、そのご家庭にちゃんと伝わっていることが分かりました。


こうして、一年越しのソニアへのサプライズプレゼント🎁企画は

私の想像を遥かに超えたギフトを私にも届けてくれました。


私はイスラム教徒ではありませんが

思わず「アラーは偉大なり!!」と叫びたくなるほど

想像を超えた幸せのおすそ分けをいただけました。

どうしても陰りを持っていた私のバングラデシュの記憶。

時を経て画面を通して再会した

以前よりもずっと満たされたソニアとそのご一家の姿のお蔭で

「やっぱりバングラデシュで過ごした時間は宝だった」という確信をいただき

記憶が貴い光に包まれ

私の心をあったか~くしてくれました❤

こうして再びソニアとつながることを

可能にして下さった皆さま

本当にありがとうございました。

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