交錯する様々な思い🗾
無事に成田に到着し、隔離ホテルにチェックインしました。
飛行機を降りると、
すぐに変異株指定国からの入国者と
そうで無い人にグループ分けをされ、人数確認。
移動した先の通路では、
ソーシャルディスタンスを保ってグループ別に着席。
そして、そこから始まる沢山の事務手続きのための大量の書類が配られました。
しばらくその書類の束に目を通し、
必要事項を記入した後は、
さながらオリエンテーリング。
幾つもの部屋に移動して、
検査や確認作業が行われ、課題を一つ一つこなしました。
全ての書類の記入事項確認、唾液検査、健康チェック表確認、
スマホの有無の確認(スマホが無い人は自費でレンタル)、
諸々のトラッキングアプリのインストール作業とアプリ作動確認。
検査結果受け取り、イミグレ通過、
隔離ホテル行きバス待ち、ホテル入室手続き、
そして夕飯のお弁当を受け取ってお部屋にチェックインしたのは、着陸4時間後でした。
とても印象に残ったのは、
最初の出発国別グループ分けと、書類配布までは、
若い日本人スタッフがサポートで入っていたのですが、
その後のグループの移動、各種確認作業の過程には、
多くの外国の方が携わっていたこと。
日本語、英語、その他の言語を駆使して、
あらゆる入国者をサポートする必要があるからか、
若い中国人とネパール人が比較的多いことが目につきました。
勿論、それらの言語が話せる人が必要なのでしょうけれど、
日本人の働き手の比率が少ないと感じたのは、それだけの理由なのかな?
と、お節介ながら考えてしまいました。
いずれにしても、
入国後のあまりにも多い手続きに、
疲れと不安を覚える一入国者にとって、
その一生懸命で丁寧かつ親切な対応に感謝しかありませんでした。
遅い時間に、一筋縄ではまとめきれない雑多な集団を扱うのは、
さぞかし大変なお仕事だと思います。
こんな大変な時に、決して誰もが携わりたいお役目でもないはず。
自らの健康を顧みず、気持ちよく助けて下さる方がいらっしゃることに、
慰められ、本当に頭が下がりました。
ある意味、今はどちらかと言えば「歓迎されない立場になった者」としては、
それでも帰国をサポートして下さる方々がいることが、本当に有難いと思いました。
隔離ホテルまでの移動バスは、
窓にも座席にも厳重にビニールが張られ、
まるで護送車に乗せられるような感覚になりました。
車内の人間の健康を守るというよりは、
むしろ、「国民をコロナから守る」というアピール度が強い感じかな?
でも、文句は言えませんね。
さて、隔離第一日目は完了し、今日(5月4日)は隔離二日目。
外国から日本国内に、
コロナ感染者を更に増やさないための水際対策で隔離されているわけですが…
昨夕は、ホテルの窓から夕陽が沈むのを眺められる幸いに歓喜しながら、
ちょっと発想の転換が出来て気持ちが楽になりました。
今自分は、国からしてみたら、
水際対策の対象になっているけれど…
逆に隔離にある我が身からすると、
「自宅に戻るまでの旅で3回もコロナの検査をしてもらえて、
しばらくは安全なお部屋で様子を見てもらえ、
その後も毎日フォローアップをしてもらえるのは、
健康でいる限り、有り難いことだなぁ」と
複雑な思いが幾度も交錯する一時帰国です。
飛行機や空港で、
周囲の他人を異常に警戒して移動する悲しさも感じつつ、
もうどこにいても決してノーマルには生活出来ない今があるのだと痛感しました。
カタールの空港で、
頭に布を被ったアラブ系の人達や、
カラフルでスタイリッシュな民族服を身に纏ったアフリカ系の人達とすれ違い、
普段なかなか接点がない人たちの衣装につい気を取られ、
興味を持ちましたが、
皆さんのお顔のマスクを見て、現実に引き戻されました。
でも、「マスクをしながら人類一丸となって、
力強く生き残ろうとしているんだ‼︎」とも思いました。
この旅で強く感じていることがあるとすれば、
それは…
例えコロナが世間で猛威をふるい、
感染する者とそうで無い人との間で、
見えないけれど濃い一線が引かれるかのように思われても、
人は人で、今までと何ら変わらぬ生身の人なのです。
家族があり、生活があり、人格があり、好みがあり、感情がある、
それまでと何ら変わらぬその人であり続けている。
自分もそうであり、自分以外の他人であっても、
人間が変わったわけではない。
だから、コロナ禍によって私たちの人間性までもが脅かされないように。
不信感や差別感で、
一番大切なものを見失わないように。
ドーハで見た、
アフリカ系の女性が身につけていたロングスカートの後ろの美しいプリーツ仕事に魅了されながら、
強くそう思ったのでした。