隣国に心を向けつつ。。。(雑感)
ここ数日、国境の向こうで起こっている出来事、
具体的にはアフガニスタンで起こっていることを
ニュースやSNSで追いながら
大きく心を揺さぶられています。
島国国家日本国民としては、
「国境を分かつ隣国が、陸続きで存在する」という概念そのものが
なかなかピンとこないですが、
今私が暮らすパキスタンは
正に、アフガニスタン、インド、イラン、中国
4つの国と国境を分かつ国なのです。
ですから、連日報道されているアフガニスタンという国は
ここパキスタンで暮らすようになってから
とても遠くの国から、
急にぐーんと近い存在になっています。
そして、必然的に、こうしたお隣の国の内政が
間接的であれ自分の生活の安全と安定に影響することを、
今、身に染みて感じています。
ここ数日、アメリカと世界各国の予想に反して
たった11日間という短い期間に
タリバン勢力がアフガニスタンを制圧したというニュースは
世界を大きく揺るがしています。
アメリカ及び同盟各国が
20年間駐留してきたアフガニスタンからの
完全撤退を進めていた矢先に
各国インテリジェンスの予測以上のスピードで
タリバン勢力が国を制圧してしまったというのですから
国際社会の動揺は無理もないことです。
そして、アフガニスタンで生活をしていた
各国関係者、大使館員、援助関係者、NGO関係者、報道関係者
そして、何よりもそうした外国機関に協力、勤務してきた現地の人々
さらには、タリバンによる統治を恐れる人々が
一刻も早く国外に脱出することを希望して
我さきにとカブール空港に殺到しているのです。
その報道を見ながら、
「これが我が身であったら?」と考えずにはいられません。
また、これが、私が暮らすイスラマバードから500キロ弱、
日本で言うならば東京と大阪間よりも少し近い距離、
陸路で約8時間弱の位置にある場所で起きているわけですから
心穏やかではいられません。
あまりにもこの地域の歴史に無知な人間として
ただ理解できることは、
この事態が、多くの人々の思想、価値観、人生、信念を揺るがしているということ
そして、それよりも何よりも
多くの人命に関わる一大事であるということです。
そこで、私なりに
SNSで情報を集め
各国のニュースをフォローし
新聞記事に目を通し
関連記事をネットで検索して読みあさる日々が続いています。
長年の無関心により、知識が足りない私には
今後のアフガニスタンが国家として向かう方向や、
タリバンの思想の根底にあるもの、
目的、権力の所在等、わからないことばかりです。
そして、今回の出来事に関するパキスタン政府の見解や
今後の各国の対アフガニスタン政策や思惑についてもよくわかりません。
それでも、わかることは、
今この時に、多くの人々の命に関わる危機が起こっているということ。
沢山の人々の生活が、根底から揺るがされているということ。
だから、そうした助けを必要としている人々が
彼等の望む最善の形で「救われて欲しい」ということです。
私には国際政治を語るほどの知識がないので、
ちょっと話のポイントがズレたり、話は飛びますが
以下、少し違う観点から、ここ数日の雑感を書き記します。
こうしたアフガニスタン情勢を注視しながら、
私自身、この事態の報道の在り方、受け止められ方、発信のされ方に
大きな違和感と疑問を感じてます。
最も、これは今回に限ってではなく
あらゆる種類の危機的事態が発生した時に
私自身が感じてきた、
「大量の緊急情報受信時に注意するべき落とし穴について」
の個人的な見解です。
どういうことかを説明をすると。。。
ネット環境が発達している今日、
危機的な事態が起こると
(例えば、私達が今直面をしているコロナ禍もそうだと思うのですが)
報道関係者や各国政府の公式発表以外に
様々な立場の人々が、
「各々の立ち位置から見える現実」を実況出来る手段と環境があります。
けれども、そのことによって、あらゆる種類と次元の情報や意見が錯綜して、
結果として、不必要な解釈、混乱や対立を招く危険性が増大していると思うのです。
世界中の注目が集まる場所や事態の情報を
SNS等を通して即時に届けられることには、それなりの意味はあるのだと思います。
そして、そのことによって、救われる命があることも否めません。
けれども、
良かれと思って発せられた情報は、時に無責任に人を翻弄し
間接的であれ人命を脅かす危険性をも秘めていると感じるのです。
様々な情報が溢れることにより
私達は、事実や真実が見えにくい時代を生きていると言えるでしょう。
各発信者は、ある特定の場所から見える現実を
その時点で理解出来る範囲内で
必死で発信しています。
けれども、実況された情報は
歴史や大きな流れの中の一時点の現象でしかなく
その時点の切り取り部分だけを捉えることで、
必ずしも全体像を説明することは出来てはいないのです。
私達はそのことを常に意識して、
溢れる情報と向き合わなくてはならない時代にあるのです。
ほんの一昔前には、個人が情報を得る手段は限られていました。
人々は主に新聞、テレビ、ラジオ等の報道から情報を得ていました。
そして、その頃は、情報が届けられる前に、検閲、チェック機能のフィルターが存在しました。
そして、個人は、情報の発信元の立場や、信条、政治的見解を理解した上で
情報を受け止め、消化することが出来ました。
けれども、今は、こうした報道機関を通さなくても
個人レベルでの発信が容易に出来るので、
情報の正否や、意図する方向性や、発信者の立場、信念等
バックグラウンドチェック機能とスクリーニングのフィルターがないまま
情報が自由に流れているのです。
こうした意味で、情報の受け手は、
以前よりも冷静に、意識をして自分なりのスクリーニングのワンステップを加え
情報を消化する能力を持たなくては、翻弄される可能性が増えているのです。
あらゆる情報を瞬時に受け止められるメリットを享受しつつ
受け手はまず意識的に情報を取捨選択、整理する努力を怠ってはいけない時代なのだと思うのです。
私が深く懸念するのは、
今日、多くの人々が
「それぞれの立場から切り取られた」ある一時点の現象の情報を
バックグラウンドが必ずしも明確ではない発信者から受け取り
意識的なスクリーニングをせずに鵜呑みにし、
即座に意見形成し、自分の立場を決めてしまう傾向があることです。
そこに、情報と向き合う現代人の危うさが潜んでいると思うのです。
今は、まるで短命の花火のように
ネットやテレビを介して
よりわかりやすく、インパクトがあり
視覚的にうったえて、衝撃的な情報を
いち早く発信することに趣がおかれているように感じるのです。
そして、それと同時に、
その花火のような「目に見える」情報を
見た瞬間の印象だけで判断し
即座に自己の意見形成をする受け手が増えているように思うのです。
けれども、現実を理解するということは、
複雑な作業で、
その時に「目に見えるもの」だけが全てではないのです。
だから、提示されている情報全てを
そのまま鵜呑みにしてはいけないのです。
例えば、一枚の写真があったとします。
そこに、一人の民族衣装を纏った男性の写真があったとします。
そして、その写真に発信者の意図に合わせて、
自由にキャプションを添えたとしましょう。
「これは、この国の偉い聖職者です」と書かれたもの
「これは、恐ろしいテロリストです」と説明されたもの
「これは、私たちに協力してくれた大切な恩人です」と記されたもの
説明書きが違うだけで、受け手の印象や意見、考えはいくらでも操作できるのです。
スピード感があるネットの時代
私達は、素早く情報を取捨選択し、
即座に判断する能力を要求されています。
けれども、視覚的に見えること以外に、
実は「目に見えない隠れたところに
今はまだ見えない真実が隠されているかもしれない」と考えられるだけの
冷静さと余裕、そして批判的な視点を持つ能力が必要なのです。
つまり、「何事も結論を急いではいけない」と強く思うのです。
いくら早く結論を導きたくても、
「全てのことには時がある」と思うのです。
この世は、時間をかけてこそわかる真実に溢れていると私は思うのです。
パキスタンという地にいると
日本にいた時とは違って、
アフガニスタンがより近くにあるがために
欧米諸国から見た今回の出来事に対する視点
国境を共にする隣国パキスタンからの視点
国家上層部の人々が持つ視点、
そして一般の人々の心情
各国の価値観、信条、宗教、思惑の違いから生まれる視点
アフガニスタンとの関わりから生まれる視点の違い 等々
あらゆる立場にある人達が発する言葉や意見、信念、価値観、情報が
より鮮明かつ切実に耳に入ってきます。
その時に、それぞれに、それぞれの立場からのストーリーがあることに気づかされます。
長い歴史と、関りと、価値観と、信念に基づいた
それぞれの言い分があるのです。
この辺りの情勢に疎い私は、
今、その一つ一つを吸収しながら、
「今のこの時点、現象だけでは何も判断出来ない」とつくづく思うのです。
最も、これは全てのことに通ずることですね。
繰り返しになりますが。。。
何事も、
その時点での情報は真摯に受け止めつつ
出来る限り、あらゆる方向からの情報を収集した上で
集めた情報を、時間をかけてクリティカルに精査し
自分の信念、考え、価値観と照らし合わせた上で
最終的な結論を導き出す
ことが大事なのではないでしょうか。
善悪の判断、批判的な意見は、
ある程度のストーリーの筋道を理解した上で発するものだと思います。
アフガニスタン情勢が日々変化し
あらゆる情報が錯綜する中で、
ともすると情報に溺れそうになりながら生きる現代の私たちには
ニュースを前に、必要な情報を精査、選別できる冷静さが
本当に本当に必要なのだと、なんだかとても思うということです。
何はともあれ、
こんなことを語ることも、
実は大きな流れの本質から見たら
不必要な雑音の一つなのかもしれませんね💦
アフガニスタン情勢にせよ
コロナ禍の動向にせよ
今一番大切なことは、一人でも多くの人々が
それぞれが望む形で生きられる道を得られること ですね。
未来に希望を失いかけている人々
脅かされている命
救いを求めている人々が
必要としている助けを得られるようにと
切に祈ります。
また少し話が飛びますが。。。
私が大好きなアメリカのケーブルニュースのアンカーに
Rachel Maddowという人がいます。
彼女に対する私の第一印象は、
「なんてよく話す人なんだろう?」というものでした。
何故なら、彼女はいつもその日のメインのニュースについて
物語を語るように説明するので
番組が始まると同時に、毎日15分から20分、一人で話し続けるからです。
そして、彼女が話している間の画面には、
スタジオでカメラに向かって話す彼女の姿と
その時々に必要な資料や映像、写真が出てくるだけで
とにかく日々番組の冒頭の約15分は、
本当に彼女を映し出している地味なカメラワークだけなのです。
だから、「よく話す女性の番組」という印象を受けても仕方がなくて。。。
けれども、映像的にはインパクトがないのに
彼女の語るニュースを聞き続けているうちに、
気づいたら私はすっかり彼女の虜になり、
彼女の人間性に魅せられ、
今では彼女は私が尊敬する女性の代表格になっています😊
彼女がアンカーとして抜きんでているのは
毎回その日のニュースを
過去の歴史、事実関係、人間関係まで遡って入念に調査し
わかりやすい一つのストーリーにして説明してくれるところです。
そして、そのストーリーに間違いがあってはいけないので、
冒頭で時間をかけて説明をした後には、
さらに、ニュースに関係する専門家を招いて、
必ず自ら語った内容に間違いがなかったかを確認した上で
ニュースを深めていくのです。
毎回「私の話したことに間違いはなかったでしょうか?」と確認する謙虚な姿勢も
私が感じる彼女の魅力の一つです。
冒頭にも書いた通り、今私は、アフガニスタン情勢を注視しながら
様々な方面からの情報を収集しているわけですが、
もちろんRachelの言葉に耳を傾けることも、日課になっています。
その際、彼女がアメリカ人ジャーナリストであるということと
彼女の政治的な立場を含めたバックグラウンドも踏まえて
彼女の言葉をきいています。
どんなに胸が張り裂けそうなニュースであっても
彼女の言葉に耳を傾けるのには理由があります。
それは、どんなニュースを分析する時にも
彼女には、「人間愛」に基づいた揺るぎない芯があるのです。
彼女の報道姿勢は
どんなニュースをとりあげる時にもぶれません。
そして、常に彼女のニュースは「人間愛」に溢れている
彼女のメッセージは
人種、性別、立場、国籍、信条が違っても
普遍的に重んじられるべきものがあることを
いつも語っているように思うのです。
そして、今も彼女の言葉の根底にあるのは
「命の尊さ」と「人間が自らの意思に従って生きる権利」のメッセージです。
日々目覚ましいスピードでニュースは生まれ、
彼女の番組でも、この一週間で
コロナワクチン接種に反対する人々が多い州での
デルタ株感染者の増加と医療の逼迫
ハイチでの地震の状況
各地で気候変動がもたらす被害などに加え
アフガニスタン情勢等が取り上げられました。
決して明るくないニュースが多かった
この一週間の終わりの金曜、
番組の最後に彼女が発した言葉になんだか涙が出ました。
”It has been a heavy week in the news,
but the weight of it doesn’t mean we can walk away from it”
(とても重たいニュースが多い一週間でした。
けれども、重たいからといって、
そこから目をそらして良いということではありません。)
今アフガニスタンで起こっていることは
ともすると、日本からみたら
遠い国の関係ないことのように感じるかもしれません。
けれども、実は、私たちが日本人として、
国際社会の中で安心して旅をしたり、生きられるのも
他国の人々の協力、支え、助けがあってのことなのです。
私達の日常は、多くの他国の人たちの働きに
間接的に助けられて成り立っているのです。
欧米諸国とアフガニスタンの関りに大きな焦点が当てられていますが
アフガニスタンには、
私達の国、日本の事業実現のために、
協力をし、働いてきたアフガニスタンの人々も沢山います。
欧米諸国が、時を惜しんで
現地の協力者を救出しようとしているように
日本と長い関係を持ってきた人達で
国外への脱出を望みつつも
命の危険を感じて不安な日々を送っている人たちも沢山います。
助けを待てず、
危険を承知で、自力で家族と国境を越えた人達もいます。
隣国のそうした動きを身近に感じながら
生きることと人命の重みを感じつつ
今日も祈ります。
最後に。。。
以前ブログのどこかに書いたことがあるかもしれませんが。。。
パキスタンに来てからの私の日常生活の中に生まれた
アフタにスタンとの小さなつながり。。。
それが、メロン🍈です。
全体的に色が薄く、果肉も限りなく白に近い色なのですが
見た目に反して、とても甘くてジューシーなのです。
このメロン🍈が、夏場に「カブールからやってくる」と
初めてきいた時
「カブールってあのカブール?」と我が耳を疑いました。
陸続きに、隣国アフガニスタンがあること。
そして、ニュースで見る政治的な動き以外のところに
別の市民レベルの日常があるということを
このメロン🍈が気づかせてくれたのでした。
私にとって、
生活する場所、立場が変われば、
一国の印象も見え方も、
少し変わってくるという例の一つとなりました😊