時を経て📚許された理解

日本での居残り足止め期間を経て、

ようやく無事イスラマバードの自宅に🛬戻りました。


想定していなかった

かなり不本意なおまけの2週間滞在延長でしたが

その間に、とても感慨深い、特別な📚「読書の時間」をいただきました。

「読書」とは言っても、新しく出会った本を読んだのではなく

私にとって足掛け何十年がかりの課題図書と

じっくりと濃密な時間を過ごしたような?


その本がこれ☟です。

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もともと、高校時代の親友に勧められた”The Far Pavillions”というこの本は、

当時南米のチリで生活をしていた私にとっては

想像の範疇を越えた異国の地が舞台でした。


読み始めたものの、

その小説の文化的背景や、土地、風景、匂い

そこで生活する人々、異なる民族の服装や信仰、

生活習慣、食文化等が

10代の私の乏しい知識と経験ではとても理解できないものでした。


今でこそ、わからないことがあれば、インターネットで調べれば

知らない世界の写真や映像を瞬時に手に入れることが出来ます。

また、沢山の旅番組や映画、YouTube映像を通して

未知の異文化に触れる機会が沢山あります。

けれども、当時はまだそう簡単に異国の知識をビジュアルで学べる時代では無かったのです。


自分の想像範囲を超えた世界を理解できない自分に

この本を手にした高校生の私は、

とにかく大きな苛立ちと悔しさを感じたのでした。



小説自体は、1850年代英国領インド

そして隣国アフガニスタン周辺を舞台にした

インド生まれの英国人男性の半生を綴った

壮大な歴史冒険ラブロマンス。

主人公の半生を追うハラハラドキドキのストーリーラインは

それなりに高校生の私にも理解出来たのですが

私はそれよりも、とにかく

この小説の舞台になっている

とてもエキゾチックな地域に、異常なほど心惹かれ

それが理解できないことが悔しくて悔しくてたまらなかったのです。


そして、以降何十年も

私はこの小説の舞台に対する強い憧れの様な思いを抱き続け

深いこだわりを持って生きてきました。


それから40年弱、

私はこの本を手放すことが出来ず、

いつも本棚の目につく所に置いてきました。

時々本が目にとまると

「あの本の舞台を知りたい。理解できるようになりたい。まだわからない。」

という思いを胸に抱きながら。。。


そんな本なので、

もちろんこれまで、人生の節目節目でこの本を手にとってきました。

思いついたら読み直し、自分の理解度を試してきました。


ヒマラヤの風景、ヒンズー教の人々が出てくるから、

「もう理解出来るかも?」と

ネパール生活の後も読んでみましたが、

しっくりこない。


休暇でインドを訪問した後も、開いてみましたが

知識が足りない。


バングラデシュでの生活を経て

イスラム教の信仰がより身近になったから読み始めても

やっぱり違う。


高校時代に比べれば

理解できること、想像出来ることは格段に増えてはいったものの

やっぱり自分自身が納得できる理解度からはほど遠く

長年の苛立ちが解消されることはありませんでした。


私自身にとって、そんな特別な思いを想起させるこの本。

それを、今回与えられた2週間のおまけの時間に

再度手にとってみたというのが、

今回の「読書」です。


実は、この本を再度手にとろうと思ったきっかけがあります。

それは、イスラバードで生活をするようになったある日

ふと本屋さんに足を運んでみたら

レジ横に、この本が山積みになっていたのです。

「なんでこんな古い本が、こんなに山積みにされているんだ?」

1970年代に出版されたこの本は、

調べて見ると映画化もされ

ドラマ化もされ、ラジオドラマとしても放送されてきたような

ベストセラー小説ではあるようですが、

(恐らく日本語には訳されてはいないけれど。。。)

これまでそんな大量に山積みにされているところを

私自身は見たことがなかったのです。

なので、

「あれ? こんな所にこんなに積んである!!」と

正直とても不思議に思ったのでした。


けれども、わざわざ再度この本を買おうと思うことはありませんでした。

何故なら、この1000ページ近い本は

もう何十年もの期間、自分が納得できる形で読破できた記憶が無いのですから。。。


ただ、「もしや?この辺りと関係しているのかな?」と。


そんな流れの中、

想定外の日本滞在延長期間を与えられ

長年本棚に鎮座してきたこの本と目が合ったのでした✨


そして、読み始めてみると。。。


「わ~!!すごい!!今生活している辺りが舞台だ!!」

「わかる!! この食べ物も、この言葉も、信仰生活も、風景も!!」


この本の時代には、

人工都市、首都イスラマバードはまだ存在しておらず

パキスタンもバングラデシュもインドと一つの国をなしていて

様々な民族と宗教的バックグラウンドの人たちが

違いを越えて共存していたようです。

そして、読み進めていくと、

当時から存在した、現イスラマバードのお隣の街ラワルピンディも

こちらに来てから訪れた世界遺産の遺跡がある街タキシーラも

ラホールもペシャワールも

ソルトレンジもジェルム河も

現パキスタンの主要都市や地名が出るわ出るわ!!

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私がずっとインドが舞台だと思っていた「インド」は

今のパキスタンを含んだ

違う時代の「インド」だったのです!!

このことを発見した喜びと興奮は

もう言葉では表現できるようなものではなくて。。。

「お~~~~~~~~!! ビンゴ!!」と

まるで宝くじが当たったかのような衝撃でした。

そして、この本の題名のThe Far Pavillionsとは

主人公が宗教の境界を越えて

彼自身の「大いなる存在」として

信仰と祈りの対象として選んだ

雪をかぶった山脈の一角のことを指すことがわかりました。

そして、その山脈は、私がネパール側から見たヒマラヤの風景ではなく

今回、是非見てみたいと思っている

カラコルム山脈に近い風景なのではないかと。。。

「うお~~~~~~!!」

そんな興奮と共に

この因縁の本が

何十年の時と経験と海外生活を経て

もはや理解不能で難解なものではなくなっていることに気づかされました。

この本と出合って以降に

私自身が与えられた人生の歩みと

これまで蓄積した経験と知識をもって、

その舞台の文化的背景や、土地、風景、匂い

そこで生活する人々、異なる民族の服装や信仰、

生活習慣、食文化、土地の言語の一部までが、

ようやく、それなりに解読できるものになったことを知らされたのです。

まだティーンだった私が、

異常なほどに強く心惹かれ

理解できない悔しさとこだわりに不思議なほど囚われた

一冊の本の舞台。

それが、人生を歩み続けてきた結果

自然と自分にとって身近な場所となっていて

理解できるものに変わっているという経験。

それは、ただただ想像を超えた大きな恵み以外の何物でもありません。

そして、つくづく

「長く生きるということは、素晴らしいことなんだな~」と

心の底から思いました。

経験と学びは、時を経て自分が想像しない形でつながり

若い頃には見えなかったものが

見えるようになる瞬間がある。

この本と私の関係は、

ようやく時を経て

想像を超えた形で

親密かつ「私事」に変えられたのです。

人生には、こんな素敵なギフト🎁があるようです。

こんな光栄な喜びの体験をいただけたことに、深く感謝しつつ。。。

今日は、物語の中に登場するカブールの地からやってきたメロンを口にしています。

もしも皆さんにもこんな経験があったら

是非それをきかせていただきたいです😊

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