すべてのことには時がある
(最初に、今回はかなりの長文なので、ご注意下さい💦
最初はあまり面白くないのですが、ちょっとだけ我慢していただいて
後半まで読んでいただけると嬉しいです。。。😊)
夫の海外赴任地に向かう予定が無期延期になり、
かれこれ10か月。
抵抗しても仕方が無いので、
コロナ禍の波に身を任せて流されてきましたが
いよいよ2月15日に日本を出発する予定となりました。
お仕事も辞め
海外に留学していた娘も急遽帰国し
一人暮らしを楽しみにしていた息子は
コロナ禍によって長引く3人生活に不満そうでしたが
足止めをくらっても、私自身、それは、それは充実した時間をいただきました。
以前にも書きましたが
四六時中二人の成人したこども達の様子を伺えること
彼等の就職活動を垣間見
彼等の考えに触れる機会をいただき
もう諦めなくてはいけないと自分に言い聞かせてきた
こども達との時間を、本当に存分に堪能しました。
また、そんな贅沢な時間をいただけたからこそ
ようやく、無理にではなく
素直に前向きな気持ちで彼等のもとを離れられる
清々しい心の準備が整いました。
そして、大学時代から本気で取り組む勇気、時間、経済力がなかったフラメンコにも
この10か月、何に遠慮することもなく没頭し、
沢山の新しい動きや、発見、視点を学ぶ機会をいただきました。
この年になって、身体を整えるためのストレッチや筋トレメニューも沢山教えていただき
今では、いくら時間があっても足りないほど、
体幹を維持するためのトレーニングメニューのストックが出来ました。
さらには、日本を離れることによって
一人でただ過去の復習をしながら踊り続けるのだと考えていたフラメンコも
出発を前にして、自分が想定もしていなかった新しい課題を先生に提示していただき
後ろ向きではなく、さらに発展的な形で
「初めての挑戦」を携えてパキスタンに向かうことが出来ることになりました。
何よりも、この期間を通じて、ずっと忘れていた、
自分の人生に対する
理想や目標や、ビジョンをもつことにも目を開いてもらいました。
正直、長く母親をしながら、いつしか色々な制約の中で、
自分のことを後回しにする癖がすっかり板についていました。
長い年月をかけて、良い意味で、別の素敵なことのために
自分が希望していたかもしれないことを「諦める」ことが当たり前になっていました。
それはそれで、沢山の幸せを運んできてくれたので
何の後悔もありません。
けれども、こうしてこども達が巣立つ時を迎えてみた時
自分の中にそんな「諦めの癖」が定着し続けていたことにも気づかされました。
そして、「自分の望むこと」を最優先にして良い現在があることに意識が開かれ
長い間ないがしろにしていた自分の中に
ようやく「ピン」と真っ直ぐの背骨が通ったような感覚が生まれています。
背筋が伸びてみたら、視界までが変わってきています。
そして、新しい希望のワクワクが湧いています。
かなり抽象的ですね。
実際には、目に見える形ではそう多くをしていたわけでもなく、
説明をしようとすると何をしていたのか語れない部分も多かったこの10か月。
コロナ感染に用心して、かなり行動範囲は制約されてはいましたが
それでも、有難いことに
狭い狭い世界の中にいながらも
自分の中では大きな変革の時間をいただき
ようやく全ての準備が整ったような、爽やかな気持ちでいます。
何もかも、予定外の想定外。
昨年の春には想像も出来なかった今の自分です。
けれども、ちゃんと必要なものは与えられ
無理なく自然に必要な準備が整っている。
こうして、今
「すべてのことには時がある」と
しみじみと思うのです。
。。。
と、ここで文章を終えると
きっとまとまりが良いのかもしれませんが。。。
もう一点(というか3エピソード)、どうしても書きたいことがあるのです。
それは、よく言われる
「良いことがあれば、悪いこともある」という考え方について。
私も、自分にとって幸せな良いことが続くと
時々怖くなるのです。
それは、
「こんなに良いことが続いたら、次はどんな悪いことがあるのだろう?」と
思ってしまうから。
何事も、良い事と悪い事のバランスをとりながら
公平に生じるものだと、どこかで信じているのです。
そして、ここまで書いたように
コロナ禍での予定変更を余儀なくされても
結局は自分にとって恵みだと感じられることを沢山経験できたので、
「こんなに良いことがあっていいのかな?」と
内心思っていたのです。
だから、それに対して、どのような形でバランスがとられるのだろうかと
心のどこかで、同時に不安もおぼえていたのです。。。
そんな中、立て続けにいくつか
「えっ!?」と思うことがあったのですが。。。
ある意味、私にとっての、どちらかというと好ましくないこと。
それが、何故か全部食べ物がらみのことだったというお話です。
一回目はレタス。
二回目はハンバーガー🍔。
そして、三回目はラーメン🍜。
レタスのエピソード。
それは、ある日、普通にサラダを作るためにスーパーで買ってきたところから始まりました。
そして、二日ほどそのレタスを冷蔵庫で保存し
必要な時に冷蔵庫から取り出し
ちぎってボールに入れ、水洗いをし、
まな板に並べて適当な大きさに切り。。。
ということをしていたら。。。
台所の流しからひょっこり何かが顔を出すではないですか!?
「えっ!?」
するとそこには、緑色の小さなお顔が!?
小さい二つの目が、私の方を見ていたのですが、
一体何だと思いますか?
なんと、そこには小さなカエルが!?
ただ、私はこどもの時のある夏休み
カエルを食べた蛇の口から、カエルの顔と手が出ているのを見たことがあり
その日から
本当に本当にカエルが怖いのです。
思わず「ぎゃ~~~~~~~~!!!!!」と叫んで
息子のところに飛んでいきました。
(これが、幸い、コロナのお陰で運よく息子が家にいたから本当に助かったわけで。。。)
「か、か、カエル!!!!!!!」
「え!?」
「レタスからカエル~~~~~~!!!」
「今、オンラインで作業しているんだけど」
「いやだ!!カエル~~~~~!!」と半分涙目で訴え
ようやく息子がお台所に来てくれました。
「まじか?意味が分からなかったけど、本当にカエルだ!! 笑笑」
「早くどうにかして~~~~!!」
「ははははは~~~~!!!」
悔しいかな、かなり取り乱していた私の姿が大層愉快だったようですが
そんなことはどうでもよくて。。。
「早くどうにかして~~~!!!」
私の恐怖心をネタに、多少いじられましたが。。。
それでも、有難いことに、
私がトイレに逃げ込んでいる間に
最終的には息子が
ちゃんとカエルを外に逃がしにいってくれたのでした。
本当にとんだ災難でした。
それで一件落着すればいいのに、
頭の中では、その後も
「えっ!?あのカエルは、二日間も私の冷蔵庫にいたの?」
それに「いつもなら洗ってから手でちぎるレタス。
今日に限って包丁で切ったけれど、
誤ってカエルを切っていたら。。。わ~~~~~~!?」
と、しばらく心臓のバクバクが続いたのでした。
余談ですが、その後ネットで「レタスにカエル」と調べてみたら
意外と同じような経験をされている方がいるようで、
これまでの人生でそんな経験をしなかったことを深く感謝したのでした。
でも、その日以降、どうしてもスーパーでレタスに手を出せなくなっている自分がいます💦
ちょっと辛いです。
2回目の残念な食べ物の出来事は、ハンバーガー🍔。
ちょうど年末の大掃除の時のこと。
お掃除で忙しくてお昼の用意ができなったので
こども達がハンバーガーを買ってきてくれることになったのでした。
私自身、あまり某M社のハンバーガーを食べたくなかったのですが
お腹がすいていたので
「う~ん。それなら、このグラン〇〇にする」とお願いしたのでした。
私としては、その「グラン〇〇」ならば、
まだ他のものよりも健康的なような気がしたのです。
そうして、行列が出来ていたM社のお店から
ようやくこども達が帰ってきて
「さあ、いただきま~す!!」となったところで
「???」
「あの~。これがグラン〇〇?」
「そうだよ。そこに書いてあるでしょ?」
「でも、なんだか小さくない? グランなのに?」
「そうかな?」
「なんだかぜんぜんグラン感が無い」と不満な私。
けれども、お腹がすいているから
包み紙を開いて、口も開いて
「あ~ん ん? ん? ん?」
何かがおかしいのです。
やっぱりハンバーガーが寂しい。
そこで、上のパンを開いてみると
「お肉がない!!!!」
そうなのです。
「グラン」なはずのお肉が!????
でも、もうお腹がすきすぎて、お店に抗議に行く力も無いし。。。
すると、息子が
「ね。最近幸せなことがいっぱい続いているから。
これくらいのことで済むなら、我慢しなきゃね。」
「あ。うん。。。」
ということで、冷蔵庫に残っていた
前夜のチキンをみつけ、それをパンにはさんで食べたのでした。
というお話。
そして、一番最近の残念な食べ物のお話は。。。
3人で外出をして、遅くなったので、
帰り道にみつけたラーメン屋さんに入った時のお話。
その日も、本当に嬉しいこと、幸せなことが沢山あったのですが。。。
寒かったこともあり、
初めて、その野菜たっぷりのタンメンが売りのお店に入ったのでした。
メニューには「あっさりタンメン」と「濃厚タンメン」があったのですが
こども達は「濃厚タンメン」、「私はあっさりタンメン」を注文したのでした。
すると、まず美味しそうなホカホカの「あっさりタンメン」が私の前に♥
こども達に「お先に!!」と言って、一口食べてみたら
「???」
そして、もう一口食べてみても
「???」
そうこうしているうちに、こども達の「濃厚タンメン」も届き
「いただきま~す!!」
左手に座っている娘の様子を見ても、とても満足そう。
右手にいる息子も「ずるずるずる~!!」
私は、自分のタンメンをもう一口食べて
「そっちの一口食べていい?」と娘のタンメンを一口もらう。
とっても美味しい。
でも、私の「あっさりタンメン」は、すご~く「あっさり」で
「あっさり」すぎて味がしないわけで。。。💦
今のこのご時世、コロナの症状の一つとして、
味覚異常というのがあるというけれど
娘のタンメンの味はしっかりわかったわけで。。。
だから、たぶん私の味覚がおかしいわけじゃない。
娘に「あの~。ちょっと私のも食べてみてくれる?」
「うん。」
「どう?」
「えっ!? これ。。。???」と娘。
「だよね~」と私。
「お店の人に言ってみたら?」
「でもさ、ラーメン屋さんてすごく誇りをもっているしさ」
「でも、言ってみたら?」
「うん。。。💦💦💦」
ただ、そもそも席についた時に最初に目についたのは、
各席の前に貼ってあったお店のうんちく。
それを読む限り、
そこの店主は大きなこだわりをもってそこで開業していることが
ひしひしと伝わってきたのです。
だから、そんなお店に私ごときが物申して良いのか。。。?
でも、かなり勇気を振り絞ってお店の人に
「あの~。このタンメン、味がしないんですけれど。。。」
「はい。そちらは「あっさり」ですから」
「いや。「あっさり」を通りすぎて、味が。。。」
と言ったところで
大将さんが「もしかして、味しないですか?すみません!!」
「あの。「あっさり」ではあるんですけれど。。。はい。味がしなくて。。。」
「あ~~~すみませんでした。味付けを忘れたんですね。」
と、結局お忙しかったからか、タンメンの味付けを忘れていたということでした。
それにしても、世の中の多くのラーメン屋さんが
自信と誇りを持ってラーメンを作っていることを知っているだけに
その味に対して意見することの勇気がいることいること。
でも、この時は勇気を出して伝えることが出来て本当に良かったのでした。
なぜならば、そうして作り直して下さった「あっさりタンメン」は、
それはそれは美味しかったのでした♡🍜♡
かなり長くなってしまいました。
もともと、今回の文章のタイトルは「すべてのことには時がある」ですが
まあ、よくわかりませんが、
ここしばらくは
良いことのあとに起こる「???」なことが
全て食べ物がらみだったという話でした。
そういう時だったのでしょうか?
それぞれのことが起こった時には
かなり動揺しましたが
こうして並べみると
結構楽しいエピソードだと思いませんか?😊