自分に戻る時
私には直接的には関係の無いことだと思っていたのに、
数日前に息子の最後の就職活動が終了を迎えた途端、
急に不思議な心の声が聞こえてきました。
「いよいよ、本当に『自分に戻る時』が来たよ!!」と。
約25年前に、最初のこどもを授かった日以降
二人のこども達に恵まれ
今日までの私の生活は、正に
我が子の成長を見守り、支え
ただ盲目的に「母親」になることを学ふ日々でした。
一人の女性として、もっと選択肢はあったのかもしれません。
けれども、私の性格上「母親」の役割を最優先にして
こども達と家族の傍にいること以外、考える余裕がなかった四半世紀でした。
世の中には、子育てをしながらも、自分自身の目標、欲求、志を持ち続け
上手に両立させて生きている方々が沢山いらっしゃいます。
けれども、振り返ってみると、
私はそのような器用な生き方が出来ない人だったようです。
毎日の生活を回していくことに集中し、
いつしか「自分」自身を丁寧にみつめることを置き去りにしたように思います。
そして、鏡の中の「自分」を直視する時間が減っていきました。
それは、決して「自分」を見失ったということではありません。
常に確実にそこに「自分」はいたけれども、
こども達と共にいることで学べる世界の豊かさに、魅了されていくうちに
私の中の人生の主役の存在が変わっていったのです。
時には、主役では無くなった「自分」にフラストレーションがたまり、
爆発し、感情をコントロール出来ず
「一人になりたい」と、プチ家出をしたこともありました。
けれども、乱れた心を抱えて
望んでいた「一人の時間」を得ても
考えることは、結局はこども達のことばかり。
落ち着いて「自分」との時間を楽しむことなど出来ず、
情けなさと悔しさを感じたものです。
「早く子育てから自由になりたい」という気持ちを抱いたこあるとも度々あったものの
やっぱり家族で過ごす時間が大好きでした。
だから、ある時から、とことん「母親」を生きることを心に決めました。
「どんなことがあっても
こども達が私を必要とする時には、
無条件で、必ずそこにいる存在でありたい」と。
それが何よりも強い私の望みとなりました。
息子が生まれる直前、一度パニックしたことがありました。
娘が愛しくて、
生まれてくる二人目のこどもを愛するだけの心の広さが
自分には無いのではないかと、真剣に悩んだのでした。
まだ若かりし頃の、母親3年生の私。
その頃の私は、「心の大きさには、限りがある」とでも思っていたのでしょうか。
自分の心のキャパシティーを考えると、
既に大切な人達でかなりいっぱいになって、余裕が無いから、
「私の心には、新しく生まれてくるもう一人の命を愛するスペースなど残っていないかもしれない」と
真面目に心配してしたのでした。(笑)
けれども、息子を迎えた途端、
私の小さな心♥は、まだまだぐ~んと拡がる可能性を秘めていることを示してくれました。
二人のこども達を授かることにより、
「人の心の大きさには限りは無く、愛する心には、限界が無い」ということを
私は学びました。😊
そして、無限に拡張可能な心は、
こども達、家族、友人の域を越えて
今日もなお、新しい対象を迎え入れながら、拡がり続けています。
このことを学べたことは、本当に本当に幸運でした。
こども達の巣立ちの時期が近づくにつれ
これまでのこども達との時間が如何にかけがえのないものであったかということを
こうして、たっぷりと振り返ることが出来ました。
そして、彼等を私達夫婦の生活に迎えることによって
彼等が開いてくれた
数えきれないほどの素敵な「人生の扉」を思い出すことが出来ました。
そう。
こども達を授かることによって、
一人、もしくは夫婦二人で生活をしていた時には知る由もなかった
未知の「冒険と魔法の扉」を沢山開くことを許されました。
「親にしていただいた」その日から、
それまでの人生で想像していた以上に
この世は
広くて、深くて、甘くて、温かくて、豊かで
カラフルで、賑やかであることを学びました。
ただ、この世は、時に切なくて、苦しくて、複雑で、
這い上がれないかもしれないと思う位の大きな無力感を用意している時もありました。
けれども、どんなことがあっても、
家族と力を合わせれば、道が開かれ
結果的に、
生きていることは、楽しくて愉快で、恵みに溢れているということを学びました。
見せてもらった世界は、本当に色彩豊かな世界でした。
明るい色にキラキラ輝いた時もあれば
どんよりと濁っていて、モヤモヤの雲の中でしばらく待たされる時もありました。
火花が散って、胸が張り裂けそうな時もありました。
晴れた日にも曇りの日にも
嵐の時にも、とにかく全身全霊を込めて本気、真剣勝負の日々でした。
あらゆる感情の波乗りを繰り返し、
例え目の前に差し出されたものが、自分の目には試練に見えても、恵みのように見えても、
信じて、誠実かつ真摯に向き合っていけば、
必ずその経験を感謝できる日がやってくることも教えられました。
こども達の大切な命の灯が消えないように、
そして、その命がこの世の中で生かされることを願いつつ。。。
お互いの全てをさらけ出しながら過ごした時間は、
何にも代えがたい恵みであり、学びであり、
人間としての知恵と経験を育てていただく時間でした。
そうして、以前よりも少しパワーアップして強くなった(?)今の私が形成されたと信じたいです。
私にとって、二人のこども達の「母親にしていただいた」ことが
どれだけ幸せな時間であったか
こうして、いくら言葉を並べても語りつくすことは出来ません。
そんな気づきを踏まえつつ。。。
この数年、そんな時間が終わりに近づいていることを強く意識してきました。
そして、こども達の巣立ちに向け
段階的に、私自身の子離れの準備に力を注いできました。
こども達が成人してからは、
努力して距離を置き、
こども達の傍にいられる時間を与えられた時には、
「ラッキー!!」と思いつつ
「これは残された僅かな『おまけの時間』だよ。喜び過ぎないようにね。」
と自分に言い聞かせてきました。
そんなわけで、今回のコロナ禍下のこども達二人との生活も
それはそれは貴重な神様からの🎁なわけです。😊
このような濃密な20年強を生きてきたわけですから、
私が子離れをするには、
とても大きな「自己改革」、
つまり、意識改革が必要であることに、ある日気づかされました。
だからこそ、しばらく前から、私は「自分に戻る」リハビリをしてきました。
こども達や家族を当たりまえのように主役の座に置きながら動く日常と、
長年親しんできた心地良い「母親」というアイデンティティを矯正し
徐々に「自分」を主役の座に置き換える、リハビリ。
今まで喜んで置き去りにしてきた「自分」との時間を取り戻す練習。
こどもを授かる前には当たりまえのように人生の中心にあった自分を少し思い出しながら、
もっと自分本位になって、自分の本質的な欲求や、願望を見つめなおす時間。
だいぶ年を重ねた「今の自分」と「昔の自分」とが重なる部分を探りながら
更に「新しい自分」と仲良く生きる生き方を探求する歩み。
そんなリハビリ活動をしてきたわけです。
長らく「母親」というアイデンティティにあぐらをかいてきた私にとって、
実はこれが、簡単なようで想像以上に大きな挑戦で。。。
大きな自由を得られるのにも関わらず、
急に大海に解き放たれるような恐怖感を伴う
「自分に戻る」という探求作業となりました。
そんな流れの中に身を置いてきた数年を経ての
今回の息子の就職活動終了だったわけです。
だから。。。
「『自分に戻る』リハビリ期間もいよいよ本当に終わったよ!!」
という声が、大きく心に響いたのです。
リハビリ期間が終わり
本格的に「自分」を主役に置いて生きる時間。
私なりに「子育ては、自分の出来る限り精一杯やりきった!!」と
胸を張って言える自信があるから、
今は妙に清々しく晴れ晴れとした気持ちです。
これからは、こども達と対等な立場になっていけたなら。。。
「自分」という存在と
生まれてからずっと一緒に生きてきたのに
今は、
まだ恐る恐る「自分」の声に耳を澄ませているような日々です。
鏡に向かうと、今までとは違う顔が見えるような感覚。
それと同時に、ずっと覗いていなかった心の鏡と向き合うような不思議な感じです。
20年以上「自分」の核心の部分から疎遠になっていて
今になって、また恐る恐るその声に耳を澄ませても。。。
目をそらしたくなったり、
つい、耳を塞いでしまいたいと思う時もあります。
皮肉なことに、こんな私の人生の節目に
コロナ禍が私の人生計画を劇的に狂わしてくれたお陰で
逃げて誤魔化すことも出来ず、堪忍して静かに自己を見つめなおす時間をいただきました。
そして、そのお陰で、今まで聞き逃してきた自分の声、
自ら尻込みしていた未来への一歩に向かって
強く背中を押されている今があります。
「自分に戻る」時を迎えて
今、日々得ている新鮮な発見、喜びについては、
また改めて書こうと思います。
どうやら「時が満ちた」ようです。
よちよちと「自分に戻る」歩みを始めました。
そんな、とても新鮮で素直な今の気持ちを
忘れてしまう前に、書き残しておきます。