Gut feelingに従う
先日、「自分に戻る時」などと書きましたが。。。
私は元来、自分の欲求に従って、
自分がやりたいことを見つめ、それに向かって行動することが苦手です。
すぐに尻込みをしてしまうところがあるのです。
自ら「人生設計を立てる」などという概念は
私の辞書には無く。。。
「流れに身を任せ」ながら、
その中で気持ちが赴くままに、素直に。。。
というのが私にとって一番心地良い生き方なのです。
だから、こども達を授かってからの年月は、
母親という役割にぬくぬくと守られて
敢えて自分が本当に望んでいることをあまり真剣に考えることも無く
流されるままに生きてきたように思います。
そんな生き方をしながら、
過去のことでちょっと残念に思うことがあったとすれば。。。
それは、大学時代に始めたフラメンコを
「アグレッシブに追求しよう」とする姿勢が欠如していたことです。
もっとも、どう考えてみても、踊りを学び続けるためには
先立つものと、時間と沢山の練習が必要で、
それでも頑張るほどの覚悟は、当時の私には無く、
結局のところ、私には
そういう道に進む勇気と十分な意欲はなかったのだと思います。
20代半ば、娘を妊娠して以降は、
母親になることに魅了され
「踊りたい」という思いはすっかり消え、
フラメンコ音楽を聴くことも、嘘のように無くなっていきました。
子育ての時期に日々手にする絵本、
こどもと触れるメルヘンな世界、
口ずさむ数々の童謡は
まるで毎日お花畑に抱かれているような甘いものでした。
それは、大好きだった、フラメンコの重厚な曲目が描写する
人生の中の愛憎、苦悶、葛藤等とは全く相容れない対照的な世界だったので
子育てをしながら、心がフラメンコから遠く離れていったのは
ごく自然な流れだったのでしょう。
30代、ネパールで生活をしている時に
椎間板ヘルニアによる左足の坐骨神経痛に見舞われ
歩くことも儘ならない時期を過ごしました。
それからは、何年もかけて、足の痛みが消えること
そして、ただ普通に歩けるようになること、
欲を言うならば、「いつの日か走れるようになったらいいな」と
いう状態に陥りました。
ですから、フラメンコを踊ることなど、もう夢のまた夢になりました。
けれども、常に記憶の彼方の何処かに
フラメンコを踊っていた時の満たされた思いが
どこか誇らしく、楽しい思い出として残っていたように思います。
身体をねじるテニスやゴルフ等のスポーツも医師に禁じられたので
身体に優しいこととして、
一時期は太極拳を習っていたこともありました。
そもそも西洋医学に頼った治療を望めないネパールにいた時に発症したので、
何年もかけて、自分の体に耳を傾けながら
自己流のリハビリを重ねる日々が続きました。
とにかく、目標としていたのは、出来るだけ普通に身体が動くように。。。
ということだけでした。
そうこうしているうちに、いつしか痛みを感じずに歩くこと
そして、走ることも出来るようになりました。
あしかけ8年ほどの時間が経っていました。
そして、ちょうどそんな時期に
夫の海外赴任でバングラデシュに行くことになりました。
バングラデシュに到着して間もなく
こどもの学校関係の行事で
たまたま席が隣になった方とお話をしていると
自宅から歩いてすぐのクラブで
スウェーデン人の女性がフラメンコを教えているというお話を伺いました。
そして、そのちょうど翌日に、そのクラブで
その方のステージがあるとのこと。
すでにフラメンコから離れて約15年。
昔踊っていたことも良き思い出に変わりつつあったので
「そうなんですね~」と会話をしながらも
心の中では、「もう私には関係ないことだから。。。」と思っていました。
けれども、翌日の夜になると、
心がザワザワして、どうしてもその先生のステージを見に行きたくなり
気づいたら、チケットも何も無いのに
無理やりそのクラブに入れてもらって
先生の踊りを見ていました。
そして、先生の舞台が終わった途端
自然と体が動いて、先生のところに向かって歩く自分がいました。
気づいたら、「昔、フラメンコを踊っていたことがあります。
貴女のレッスンを受けたいので、是非クラスに入れて下さい。」とお願いしていました。
フラメンコ用の靴も、練習着も何も持ち合わせていないのに。
「いいわよ。来週からどうぞ」という言葉を先生からいただいて、
珍しく大胆に動いた自分に
自分がしたことなのに、
狐につままれたような気持ちで
ただ、唖然としたことが忘れられません。
そうして、再びフラメンコを踊る機会を与えられたのでした。
考えてしまうとすぐに理性でブレーキをかけがちな自分が
その時、直観に身を任せて行動したことは
今でもとても不思議です。
そして、その出来事を振り返る度に、
それが如何に自分にとって大きな人生の転機だったかが良くわかります。
だから、その時に素直に動けた自分を、心から褒め称えます。
いざレッスンを受け始めることになった時、
ずっとリハビリモードだった我が身体が動いてくれるのか
本当にまた踊ることが出来るのかと
沢山の不安をおぼえました。
それでも、不安をはるかに超越した喜びがあり、
流行る心が抑えられなくて
自然とまたフラメンコを踊りはじめていました。
その後、バングラデシュで3年間レッスンを続けることが出来ました。
そして、帰国してからもすぐに先生を探し
今日に至ります。
フラメンコを再開したこと、
これは、私自身の中では「奇跡」に近い出来事でした。
年齢を重ねて、昔の若さもエネルギーも無いけれど
大学生の頃には理解できなかったこと
見えなかったことが見えるようになっている部分もあり、本当に面白いのです。
そして、なんと、当時上手に踏めなかったステップが
少しずつ踏めるようになる、成長の喜びも経験しています。
ここでまた、話を「自分に戻る」というところに少し戻すと
このように、フラメンコを踊る自分は、
「自分に戻る」というプロセスの中で、
とても需要な位置をしめていることを、日々実感しています。
踊りが上手だとか下手だとか
何かを表現したいとか
そのような次元を超えて
フラメンコを踊っている時、
無になれる瞬間があります。
そして、自分の「内なる火」が燃えていることを確かに感じることが出来るのです。
無になって、言葉では表現しきれない
自分の内なる何かと向き合う時間。
それは、決して簡単ではないけれど
どこか神聖な修行のようでもあります。
踊ることは、時に難解で、
簡単に自分のものにはならないけれど、
とても心地よく、
心を満たす活動なのです。
人生とは本当に不思議なものです。
長いブランクの後に再開(再会)したフラメンコも、
あくまでも自分の想像を超えた「流れ」の中で与えられたチャンスでした。
そして、「自分に戻る時」となった今
実は、もう一つの大きな「奇跡」のようなチャンスをいただいています。
一番最初に
「私は元来、自分の欲求に従って、
自分がやりたいことを見つめ、それに向かって行動することが苦手です。
すぐに尻込みをしてしまうところがあるのです。」
と書きましたが、
私には、ずっとずっと心の中で思い描きながら、自分でも向き合うことを避け
恥ずかしくて決して口にすることが出来なかった夢があります。
それは、「死ぬまでに一度で良いから、自分が納得するソロが踊りたい」という夢です。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが
フラメンコは、唄とギターと踊りが三位一体となって一つの作品を作りあげるアートです。
踊り手の靴のつま先とカカトには、沢山の釘が打たれていて
踊り手は、唄やギターに合わせて靴で音を奏で、リズムを刻みながら踊ります。
そして、フラメンコでは、
実は、華やかな衣装を身に着けた踊り手ではなく
歌い手さんの唄が一番の花形なのです。
だから、まずは、歌い手が紡ぎ出す唄と、ギターが奏でる世界観ありきなのです。
そして、その音楽が繰り広げるリズムと世界観を感じ取りながら、
踊る感性とテクニックが踊り手には要求されるのです。
音を体で表現しながら、同時に足では正確にパーカッションを鳴らすような技術が必要なのです。
つまり、ソロで踊ることを望むということは、
身体の動きと足という楽器を正確に操る技術を持った上で
更にギターと唄と一体になるということを意味するのです。
それはミスを許さない、緊張と集中力を伴うものなのです。
フラメンコの基本は、生演奏、生唄。
全てが一期一会のライブの中で生み出されるので、
沢山練習したから必ず上手くいくものでもないのです。
本場スペインで生まれ育ち、フラメンコ漬けで生活をしている人々が持つ感性とリズム感。
それを、異国の者が、後から頭と知識と練習で身につけようとすること、
そのこと自体に大きな無理があると感じることがあります。
それでも、それに出来る限り近づいてみたくて
もっと知りたいのです。
知れば知るほど、
恐れ多すぎて、自分の大それた「夢」を語れなくなっていました。
「死ぬまでに一度だけでいいから自分が納得できるソロを踊ってみたい」という「夢」。
かなり大きな「夢」です。
それがいつの日か、叶うのかどうかはわからないけれど。。。
若い頃のように、いつまでも体が思うように動く保証も無く
残された時間も少なくなっている中、
仕事を整理してパキスタンに行く予定だったものの
コロナ禍による出発延期が生じ
緊急事態宣言と自粛生活が続く中
様々な状況が絡み合い
その一見マイナス要素の塊のように思える流れが
気づいたら勢いよく私の背中を押してくれて。。。
実は
この全ての最中
自分から決して言い出す勇気がなかった「ソロへの挑戦」が始まりました。
「あれ???」と言う間に
自分の思いを越えた「流れ」に乗せられて
ついこの前まではなかった自由な時間のポケットが与えられ
ソロのための個人レッスンを受ける機会に恵まれているのです。
そして、今、大きな挑戦を前に、深い喜びに包まれています。
隔週で個人レッスンを受け
新しい振り付けと課題をいただき
自主練を重ね
出来ることを増やし、
気づきを自己修正に生かし
次のレッスンに行くと
また新たな課題を指摘され
自分の力の無さを感じつつ。。。
それでも、目の前の高い高い山に
やっぱり登ってみたくて
出来ることを少しずつ増やしています。
「自分に戻る」時の訪れに合わせ、
気づいたら「夢」に挑戦する機会も与えられているのです。
大学時代に夢みたこと。
あれから何十年も経って
二人のこども達も成人し
日々の体の衰えは否めないのに
それでも、まだ新しいことにチャレンジすることを許されています。
真面目に生きていると、
思ってもいなかったタイミングで
こんな恵みを受け取ることが出来るのです。
いや、恵みというよりも、私にとっての大きな「奇跡」。
こんな時ではありますが、
私の「自分に戻る時」は、フラメンコも含め、すでに新たな展開をし始めています。
最近、とてもしっくりときているのが、
”Trust your gut feeling"という表現。
日本語で言うならば「自分の直観、勘、第六感、虫の知らせを信じなさい」といった意味です。
きっと、これまでも、人生の様々な場面、特に大切な岐路に立った時、
無意識のうちに
ちゃんと自分の “gut feeling”に従ってきたのだと思います。
今日のこの文章で言うならば、バングラデシュでフラメンコを再開した時も。
私達は日々学習を重ねていて、
多くのことを学び、知識や経験を増やしています。
そのことによって、私たちは知らず知らずのうちに頭でっかちになりがちです。
だから、目の前に大切な「選択」を差し出された時
沢山考えた末に、理性に判断を委ねことが多々あるように思います。
ただ、(決して理性を否定する訳ではありませんが)
自分が本当に望んでいることは、
実は頭ではなく、ちゃんと
”gut feeling"として自分の中に頑として存在しているのではないかと
最近つくづくと思うのです。
そして、その “gut feeling”に素直に従うことが出来ることは、
もしかすると、幸せへの近道なのではないかと。
そんなわけで、「自分に戻る時」を迎えた今、
今まで以上に、抵抗せず、素直に自分の”gut feeling"に従いながら、
流れに身を任せています。
実際に目に見える世界は、
悲しいこと、不自由なこと、苦しいこと、思い通りにならないことで溢れているけれど。。。
ちょっと視点を変えると、
実は、すぐそこに、その人にとっての「奇跡」が散りばめられているのだと信じます。
というわけで、長くなりましたが、
「自分に戻る」今の私は、
「”gut feeling"に従うことを素直に自分に許すことこそが、幸せの近道だ」
ということを自分に言い聞かせながら
”gut feeling"が向かう方向に冒険を始めています。