土台・基礎・そして。。。
久しぶりに森を歩いた先週末は
何故か樹々の根本ばかりを見ていた。
既に切り株になっているもの
まだ生き生きと育っているもの
寄生植物やきのこ、コケが生えているもの
何本もの足が絡まっているかのようなもの
表情が豊かですっかり魅了された。
そんなことをしながら、
「あ~。このあたりが樹々の土台、基礎の部分なんだな~」と。
樹々にも基礎の部分があり、
そこからそれぞれの形で空に向かって伸びていく。
根本をどう安定させるかによって
そこから上に伸びていく幹や枝のありさまが変わっていく。
樹全体が健やかに成長するためには、
基礎固めは本当に大切。
「そうだ。人もこの樹々と同じなのか~!?
樹と同じように、人にも土台・基礎があって
そこから人格、その人らしさが育っていくんだ~」と
なんだか当たりまえのような
こじつけのようなことを考えた。
どのような環境に生まれ落ちても、
その土壌を生かして上に伸びる。
時には風当たりが強くて、
真っ直ぐ立っていられないこともある。
気温に左右されながら
明るい太陽のぬくもりを探しながら
体幹を安定させて
上に向かって伸びていく。
ケガをしてしまうこともある。
隣人と協力して共存することも学ぶ。
時には、道半ばで倒れることもあるのかもしれない。
でも、みんな与えられた環境の中で
精一杯生きる。
数日前、
「自分の人生は『夢の実現か死』の二者択一だ」と
語る20代の若者と出会った。
「そんなに軽々しく死を語るのはよくない」と伝えた。
それでも、
「いや。夢が実現出来ないのであれば、生きている意味が無いのです」と。
本当にそうなのだろうか?
だから、こんなことを伝えた。
「人間はみ~んな放っておいてもいつか死ぬ運命なんだよ。
それも、早いかもしれないし、遅いかもしれないし。
この世にいる人達はみんな共通していつか死ぬ運命なの。
だから、『死ぬ』なんて敢えて声に出して連呼することは
恰好良いことでもなんても無い!!
『自分がしたいことが出来なければ、死ぬ』なんて
そんな言葉は、意味が無い。
そもそも、そんなことを語っているところに甘えがある。」と。
人生には、自分が今現在想像できる以上に
多くの生き方と選択肢がある。
今備わっている知識と思い込みだけで
自分の人生を限定するほど勿体無いことはない。
まして、「夢か死か」なんて。。。
未来に向かって限りなく可能性がある若者が
簡単に「死」を口にすることには
本当に胸が痛む。
どうしてそんな考え方になってしまうのだろう?
「夢」があるのなら
与えられた命を精一杯生きぬいて
幾度失敗しても
その夢に挑戦し続けて欲しい。
樹々を見ていると
生きることは決して安易でないことは一目瞭然だ。
人間も同じ。
でも、どんなに厳しい環境にあっても
逆風に合っても
しっかりと根を張って
苦難を乗り越え
しなやかに
太陽に向かって歩む生き方を選んで欲しい。
樹々だけではなく、人間にとっても、
ゆるぎない土台・基礎は本当に大切だ。
それと同時に、逆風や苦境を前に
一緒に考え、
寄り添って共存できる
そんな関係と環境を作っていくことも
本当に本当に大切だとつくづく思った。
そうそう。
世代を超えて語り合える関係構築の大切さも痛感した。
このことについては、またの機会に。
樹々の根本を愛で
若者と語らう機会を通じて
こんなことを考えた。
という話でした。